アヒージョ好きのビーバー

なんでもバリバリ噛り付きます。

台風に思う 2

昨夜から、福岡県、大分県をはじめ、西日本各地で大雨による災害が発生している。

被害に遭われた方には、心からお見舞い申し上げます。

 

数日前にも書いたが、今の警報の出し方が、台風のような自然現象に対して、間違っているのではないかと考える。

情報収集の能力があがり、コンピュータによる過去データからの予測もし、ある程度ソコソコの未来予測は可能になった。

しかし、いくら予測はできても、それは予定ではない。ということは、必ずそうはいかない場合が出てくるということである。また、それを発令するのは人である。役所は、仕事柄、決済を求める。何人もの手を経て、情報は公になる。しかしながら、誰が、どの段階で、どのように指示したのかは誰にもわからない。

 

自然災害は、局地的に集中して発生する。だから、局地的に予測を伝えようとするのはわかる。しかし、多くの場合、発令された地域の住民は、もう既にその忌まわしい状況に、巻き込まれているのである。

もっと広く正しく予測を発令できないものか。今、大丈夫なところは災害派遣の準備をしたり、自分の身を守る支度をしたりすれば良い。

災害が起こりうる時に、突然の警報で、いきなり50年に一度と言われても、どうしようもないではないか。そういうものは、つじつま合わせの、安物占い師となんら変わりはない。家の中にいるしかなく、避難することができない人が沢山いたはずである。

 

これから行方不明者の捜索が行われる。この場合も、やはり、時間を決めて、よっこらしょという塩梅である。

サンダーバード1号を操縦するスコットが災害現場に駆けつける時の「あと2分で到着」という、緊迫感はない。全天候型のエンジン、暗視装置を持っていても救助のヘリコプターは飛ばない。

 

マスコミは、おそらく被害状況の報道に躍起になるだろう。こちらは大変なことになっています。と、しかし、それは見たい知りたいという、人間の欲求に絆されているのに過ぎない。

助かった人はどんな工夫をしたのか、だれがどう考えてどう動いたのか明らかにするとともに、警報を出した側の動きも取材すべきである。

 

いつ、だれが、何を、どうして、何をしたのか。

 

そこの追求がいつもなされず、うやむやになる。だれも責任を取らない。わからなくなってしまう。

  

気象庁は、先の東日本大地震津波予報でも誤報をした。しかし、被害状況ばかりが語られる中で、それはうやむやになった。結局、前例のないものには、太刀打ちできないのである。

それならば、偉そうに区域を区切って適当なことを言わなければいいのだ。

 

被災地の消防、警察の方は、自分のことも大変なのに、本当に頭が下がる思いだ。周辺の自治体は、7500人体制など、数にこだわることなく、はやく助けてあげてほしい。