アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

またまたセレブか

バラエティ番組には、巧みな司会者と安定感のあるレギュラー陣、そしてゲストとして番宣の俳優とハーフ美女というのが、ほぼ定番である。

前者の番宣の俳優は、台本のないアドリブには弱く、そのあたりは、合点承知の助であるので、多少ぎこちなくても、大して慌てたりしない。むしろ演じる役割に重きを置いているのだろうと安堵の気持ちを抱く。かえってべらべらしゃべられたり、意表のつく冗談など言われたりするようなら、同じレベルではないかと失望してしまう。いわゆる、ガッカリ感が残ってしまう。

そういうわけで、基本は聞かれたことに応え、感想を聞かれても適当に相槌を打ちながら、笑って短くコメントするというのがほぼ正しい出演のあり方である。

 間違っても自分の主張はしない。あとで、番宣の時間があるので、その時までは、好感度を下げてはならないのである。

 

後者の方は、かなり舐めた態度で話をする。そういうキャラクターで売っているモデルも多いが、とにかくその存在が、驚きの連続である。タメ口で話す。家族の自慢をする。最後には自宅、自室の公開。これは完全に優越感キラキラ状態である。「あなたたちとは違うのよ。私は特別なの。だから常識なんか気にしないの。ふん、ブサイク。」と、心の中では思っているのであろう。

でも、実はそんな美女も、元は売り込みであることが多い。テレビ番組の打ち上げに華を添えてと、頼まれ参加するという。関東のプロジューサーは、そういうのが好きで、まあ、コンパ状態である。出演者同士も、いろいろな思惑で出席している。そこに呼ばれるコンパニオン的な女性がどうすれば、テレビに出られるか、簡単に想像できる。

出演すれば、たいてい、人とは違うことを自慢する。家族の自慢、家の自慢、たいてい海外生活のエピソードなど、「ふん、あなたたちとは違うのよ。この短足野郎。」

 

だいたい、テレビの出演料も高すぎる。もうすぐ、チャリティー番組の季節である。子どもをたぶらかせて、貯金を寄付させながら、出演者は、莫大な出演料をもらっている。売れない芸人のオアシスがくる。感動や優しさを強制し、きっちりCMは、する。怪しいものには近づかないことです。

テレビを、消そう。

でも、1時間持つかなあ?