アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

賢い小学生

昨夜は、好きな読書もしないまま、不自然な姿勢でテレビを見ていたので、首が痛い、首が取れそうと言いながら、思いのほか早く就寝してしまった。持ち帰りの仕事も、ほとんど手をつけず、朝になってしまった。

時間は、5時過ぎである。部屋はエアコンを入れっ放しなので、すごく快適なのだが、そこに朝日が眩しくさしてきた。

このままでは、溶けてしまうかも。間違いなくドラキュラなら、灰になってしまいそうな強烈な日光に叩き起こされたような感じであった。

朝日をたっぷり浴びた日は、生活のリズムが整うらしい。中畑清の絶好調とは行かないまでも、いつもの3倍も朝風呂に浸かり、たっぷりと水やりをしているうちに、どうしていつもこのようにできないのか、仕事が多過ぎではないか、もっと早く帰れないのかと、ふつふつと疑問が湧いてきた。短い一生を仕事だけで生き抜くのも、覚悟があれば素晴らしいことであろう。しかし、社会の一番端っこで、概ねその歯車の1つにさえなしえていない、この自分の生き方は、正しいのであろうかと。

 朝風呂と朝食とを済ませ、愛犬りょうの見送りを受けて家を出た。

 

今日はまだ時間があるので、いつもと違う道で行こうかどうかと迷っているうちに、 いつもの道に出た。すると駅の方から、小学生が歩いてくる。2人ずつ、しかも3組も、20メートルぐらいの感覚で。それぞれみんな手には透明のプールバックをもっている。一番手前の女子の2人は5年生ぐらいだろうか。よく似たつばの狭い麦わら帽子をかぶっていた。

2人は突然バス停で立ち止まり、1人がしゃがんで何かを拾って、そこにいたお年寄りの女性に話しかけた。一瞬何が起こったのかわからなかったが、どうやら、お年寄りが落としたものを、拾って渡してあげたようだ。それだけでなく、カバンの中に入れるのか手に持つかを聞いているようだ。結局女性の小さな袋に入れるのを手伝ってあげていた。

「ありがとう」と、いう声が聞こえた。

なかなか今の小学生はやるなあと、少しうれしくなった。子どもたちとすれ違うとき褒め言葉の1つでもかけたかったが、このご時世。知らない小学生に声をかけると不審者と間違われてしまう。

 

でも、地域に、いい子が育っていてうれしかった。

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