アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

演劇バンザイ

京都に、劇団の通し稽古を見てきた。明日からの公演の最後の稽古だ。

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物語はヴィクトルユーゴーの有名な作品だから、話も感動的で筋道もしっかりしている。もちろん出演者も厳しい稽古をこなしてきているから、安心して見ていられる。はじめは、いきなり話に飲み込まれまいと、出演者の一人ひとりの動きを固唾を飲んで見ていた。まるで審査員のように。劇中、出演者の役作りを見せたり、言葉で時間の流れや周りの変化を伝えたりするところは、日本の能や狂言のようで面白かった。大がかりな大道具は、その出し入れも、見事に制御されなんの違和感ももたなかった。

最後はよく知られている結末だが、伝えたいであろうことが、ダイレクトに伝わって来たので、感情が制御できなくなってしまった。う〜ん、さすがである。

帰りには、劇中の歌の一節のメロディーを口ずさんでいた。

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 さて、残念ながら日本は、芸術発展途上国である。室町時代から、素晴らしい芸能が芽生えていたのに、明治に開国し富国強兵政策をすすめるにあたって、自国の文化を軽率に扱い、数多くの作品を海外に売却してしまった。小学校では、西洋の音楽が主流となり、絵は、模写を取り入れた。能や狂言鳥獣戯画信貴山縁起絵巻などの独創性を忘れ、真似をすることに価値を見出した。

どこが偉いのか、クラシック音楽演奏家は、とても偉そうにしている。客を「こんな人」と言いそうなほど。いや、それはクラシックファンが、そうさせているのかもしれない。これが鹿鳴館なんざんすと。なんの違いもわからないまま、「あのなんとか賞を受賞したざますからきっと素晴らしいざんす」とか、「よく聞く名前だから素晴らしいざんす」とか、もう、絵画の世界と同じになってしまっているのだ。人の見立てで、金を払っているに過ぎない。そんなことばかりしているから、イタリアの有名室内合奏団に、いい加減なビバルディの四季なんぞを演奏されてしまうのだ。この秋、チェコフィルが来るが、あの新世界を聴けば、きっと考え方が変わるだろう。

 

さて、中学からクラシックファンのわたしは、いつも、FMで、こんな曲知らないざんすかみたいなマニアックな放送を聴きながら、必死で置いていかれまいとして、耳を鍛えてきた。大がかりでフォーマルなクラシック音楽が、高級で値打ちが高いということではない。それは、文化なのである。

オーストリアのウィーンを訪れた時である。街角では、クラシックの路上コンサートがあちこちで行われていた。あるクインテットの演奏を聴いた。ブラームスのハンガリア舞曲第4番を演奏し始めた。三部形式の曲の前後が、日本人の心を虜にする哀しげな美しいメロディーが魅力の曲であるが、日本ではあまり知られていない。聴衆の間を縫って、1人の高齢の男性が、大きな自転車に牛乳を乗せて運んでいた。すると、いつの間にかその人は、鼻歌交じりにその曲を口ずさんでいるのである。楽しそうに。

夜には、市庁舎でスクリーンコンサートがあった。市庁舎の壁にスクリーンを垂らし、広場にパイプ椅子をこれでもかと並べていた。その座席は大方埋まっていた。場内は静かである。ザルツブルクに出かけて不在になっているウィーンフィルの映像を写していたのである。幻のホロヴィッツのピアノ名演奏もあった。市庁舎の前にはバルが出て、なんとテリヤキもお目見えしていた。アルコールなどはそこで済ます。というお約束である。

しばらくすると、ざわざわと少年が5、6人、ヤッホーと言わんばかり勢いで自転車で乗りつけた。日本でもいる、チューインガムかみかみオラオラ少年たちである。厄介な、この場で誰が注意できるだろうと、周りを見渡しても、おまわりさんや屈強な若者は見当たらない。スクリーンでは、ホロヴィッツが、大写しになっている。ピアノの音は繊細である。

するとその少年たちは、自転車を音も立てずに置くと、一言も発しないまま聴衆の一部となったのである。見事なその行動に、クラシックに対する奥の深さに感動した。そんな歳からホロヴィッツなのかと。

 

いつものように、グダグダ書いてきたが、日本ではもっと演劇を芸術として尊重しなけばならない。先に書いたが、芸術と言えば、音楽、美術が主流。大学もなかなか演劇のハイレベルのものはない。

欧米の文化の一部を真似た時に、演劇は、芸能と誤解され文化の片隅に置かれた。実は、演劇は欧米では中心に位置するものなのに。

 

京都ではどうして、エスカレーターを左側に乗るのだろう。大阪万博を経験しただろうに、どうして左右逆なのだと、ブツブツ言いながら帰宅を急いだ。