アヒージョ好きのビーバー

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三ノ宮における名称のいい加減な考察

JRの三ノ宮駅は、三宮を「さんのみや」を、「さんぐう」や「みつみや」と読まさないために、間にカタカナのノを入れたということである。

なるほど、そうすれば、「さんの」まではスムーズによんでくれるかもしれない。さんのまできて、「さんのぐう」とは、なかなか読めないものである。

 

さんのみやという駅名は、生田神社の裔神である「三宮神社」から名付けられた。「三宮神社」は、元町駅の南の大丸神戸店のすぐ前にあり、トアロードの入り口、トアロードアーチがある所である。

もともと三ノ宮駅は、今の元町駅の東、三宮神社の北辺りにあった。大阪から神戸までは鉄道は出来上がっていたものの、神戸にとって厄介であったのが、生田川や湊川であった。それは、神戸という街をつくる地形を見ればわかる。

南には海、北には山、それゆえに、山の裾野に広がる街並みは、緩やかな傾斜を抱き極めて水はけの良い住宅地となっている。反面、山からの川は、いずれも短く、一気に街を下る。六甲山地には、たくさんの砂防ダムがあるが、砂防事業が完了するまでは、400ミリの雨が降ると、鉄砲水が出ると言われてきた。その川は、多くが山の砂れきを運び、扇状地を作りながら、中には川底が周辺の土地より高い天井川になっているところもある。

生田川も、すぐ北の布引から流れ、幾度となく氾濫を繰り返し、その川幅や、堤防の高さから、東西交通の妨げとなっていた。そのため生田川も神戸港の開港とともに、港に運ばれる土砂をなくすためにも、付け替えが迫られた。特に、旧居留地に住む外国人からのクレームの威力が大きかった。

 

明治の初めには、篤志家が自分の資産を出して公共事業にとりくむことが多かった。生田川の付け替えは、和歌山の材木商であった、加納宗七がたった3ヶ月で完工した。新しい川は、新生田川として布引からまっすぐに海へと流れている。

そのあと、生田川の河川あとは、埋め戻され、今のフラワーロードになっている。その時、堤防を崩した河川敷を宅地化し、線路と道路が交わる辺りに新駅がが設置された。それが今の三ノ宮駅である。

元町駅は、鉄道の高架化が進む中で、やっぱりあったほうがいいよなあと、再建されたものである。その際、あまりにも三ノ宮駅と、近くであったので、少し西寄りの今の位置に設置されたのである。

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さて、その三ノ宮駅を、三宮と表記しようという議論がまた蒸し返されている。後でできた阪神、阪急が、三宮と表記しているため、場所の混乱がおこらないようにするためらしい。ばかばかしいといえば、それまでなのであるが、歴史を学びながら、考えて欲しい。

 

ちなみに、三宮神社はもともと布引辺りにあった神社を、そこの砂山(布引)が水害で崩れると大変だとして、今の位置に建てたという。そして、港や町の守護神としての役割を担ってきた。

洪水や鉄砲水が出る場所には、神社が多い。元町にある走水神社もその一つだ。

神戸はいつも、水に恵まれ、水に悩まされてきたのである。

 

つづく