すてきな和歌山5
またまた、和歌山である。
近畿のお荷物と言われながら、実は近畿の自然を一手に引き受け、パンダやチーターの繁殖は日本一。
言われなき人種差別集団のグリーンピースや、ただの牛肉販売エージェントのシーシェパードという馬鹿集団に、国の擁護が一切ないのに孤軍奮闘の太地町。
樫野埼でのエルトゥールル号遭難では、トルコとの100年以上続く友情を築いた。
地震と津波との危険性を、自らの行動で示した、広村の濱口梧陵の勇気は世界津波デーとして世界の人に記憶された。
あの、南方熊楠は、 徳川吉宗は、 華岡青洲は、というふうに、数限りなく和歌山の凄さが現れてくる。
それはそうと、順次、わたしの青春の息吹とともにお伝えしたい。
今日は、貴志川にも寄ってみた。和歌山から、県道を走り、約40分。
たま駅長で有名になった、貴志駅に行ってきた。40年前は、駅前は何もなかったのに、駅前には家も建ち、4台ばかり停められる駐車場もあった。
水戸岡さんのデザインした駅舎には、たま駅長の耳が付いている。ちょうど、たま電車が到着していたので、写真をたくさん撮った。
車内は、とても可愛い。
座席に、たまが寝そべっていても不思議ではない。
和歌山駅は、南海の難波駅から和歌山市駅を経て走ってきた急行きのくにと、阪和線天王寺駅からの急行きのくにが連結し、紀勢本線きのくにへと変身する場であった。
白浜のアドベンチャーワールドが、まだワールドサファリと言っていた頃、紀勢本線に振り子式の特急くろしおが、走り始めた頃、まだまだ、南海電車は、元気であった。
和歌山本線は、和歌山港まで営業していたし、徳島までの南海フェリーに連絡していた。
和歌山市駅からは、南海加太線が走り、海水浴場や淡嶋神社、友ヶ島へと気軽な遠足に行けた。今でも営業しているので行けるが、昔は、大阪のじゃりン子チエが遊んだみさき公園駅から出ている多奈川線とつながるのではないかと、期待したほど、加太のあたりは賑やかであった。何しろ、まだ、新日鉄住友金属和歌山製鉄所の高炉があり、火事ではないかと思うほど、夜空を真っ赤にしていた。
そんな、和歌山がまだ40年前、人口が42万人ほどがいた頃の話である。国立の和歌山大学も市内の一等地にあり、若者もたくさんいて、商店街もそれなりに賑わっていた。
しかし、やがて、都市化の波は、和歌山市を越えて県外へと向かう。
大学も、栄谷という中央構造線の破砕帯を挟む辺鄙な田舎に移転し、和歌山市内の学生相手の店や下宿屋は、廃業に追いやられた。その、もぬけの殻になったなれの果てが、今の和歌山市の静けさなのである。
その大学は、未来展望もなく、県の怠慢と、教授陣の勢力争いから、教育内容の充実を怠った。地域の産業と結びつく、農学や、水産学などの研究機関は全くなく、水産学などは、近大にお株を取られていた。その後、システム工学部や、観光学部が認可され開講したものの、和歌山県立医大を取り込めず、奈良県や滋賀県と共に、総合大学としてのエネルギーも実績もない、いわばジリ貧状態である。
そもそも、和歌山は、県外志向の強い県である。和歌山を嫌い大阪出身と偽るばちあたりの人もいるらしい。今でこそ、世界遺産や、環境で見直されてきつつあるものの、依然、故郷には伏し目がちな県民である。
その流れは、南海貴志川線にも訪れた。道路の整備が進むと、過疎が始まるという日本列島改造論での現象と、同じことが、おこったのである。
南海電車は、経営の立て直しを図るべく、南海ホークスを手放したが、やがて、その軸足を、関西空港線に置くことになる。
夢から忘れられた和歌山から、南海は、じわじわと、退却し始めた。
そんな延長戦上の、貴志川線であるが、こんな鉄道を、沿線の小学生が存続運動に携わったという。途中駅にある、貴志川高校の生徒が、駅のゴミ拾いや、ペンキ塗りを買って出た。平成17年、和歌山電鐵として、再出発するが、それ以降の人気ぶりは明白である。
なぜ駅長が、猫なのか。そんなことはもはや言及することではない。
それよりも、こんな田舎(失礼)に、どうして団体客をたくさん乗せた観光バスが続々と乗り付けるのか?
電車を見た人は、誰もが口を揃えて、可愛いを❤️を連発するのか?
どうして、三連休に、わたしががむしゃらに、遠方から駆けつけたのか?を、考えればわかる話ではある。
その匂いを嗅ぎたい。そこまで立派に、立て直した、勢いを味わいたい。人は捨てたものではない。捨てる神あれば拾う神あり。猫大好き。であろう。
実際、たまは電鐵の代表者に、名誉永久駅長として名を連ねており、招き猫として、彦根藩主を救った白猫ひこにゃんとともに、鉄道を救った三毛猫たまとして、また永久に知られる存在となる。
大したものだ。
そして、前述の、パンダ、ちーたー。和歌山の動物は、まさに神がかりである。
たま駅長の経済効果は11億円だと言われる。しかし、もっとすごいと感じているのは、わたしだけだろうか?