アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

愛犬りょう15

りょうは、15歳になるオスのしば犬である。小さい頃は、とても可愛く、町内の人気者であった。遠くからもりょうに会いに来る人もいた。

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2世代住宅で、同居している両親は、そういうりょうの散歩で、沢山の犬友に出会ってきたはずだが、散歩のお供にと、りょうをお願いしていたものを、わたしたちが散歩へ連れて行くのをサボっているのだと、卑屈に考え、しばらく、りょうは不幸な時期を過ごした。

わたしは、朝早く連れて行くために、4時半に起きて、5時過ぎまで散歩し、帰宅後、もう一度寝るという生活を、しばらく続けた。想像力の乏しい両親は、子どもの思いを、真正面には受け止められなかった。

 

庭があって、犬が走り回るって、本当に幸せなことだと思うのだが。

 

普段相手をしてやれないので、休みの日には、近くの山に登ったり、海まで出かけたりした。コンクリートの上を長く歩くと疲れるのか、あほらしくなるのか、途中で歩くことを拒否し、座り込んでしまうこともあった。自転車の前かごに入れて、運ぶこともあった。どんな時も、可愛いと言って、いろいろな人が、頭を撫でてくれた。

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今は、散歩に連れて行くと、腰が悪いので後ろ足が左右に揺れ、可哀想だと通行人に言われる。余計なお世話だ。しば犬は、歳をとると、足腰が格段に劣ってしまう。また、その晩年は、不幸な姿になることが多い。特に、脳症や神経症など、今まで可愛らしかった時とは別物になってしまうことが多いという。

しば犬は、主人に従順で勇敢だと言われることが多いが、それは、犬としての理想像や、武士道による道徳観から発した期待値にしか過ぎない。

りょうも、生粋のしば犬で、おじいさんはチャンピオン犬である。小さい頃から噛み噛みで、何でもかんでも、感情をむきだして挑んできた。一緒に遊んで、ボールやおもちゃを取りに行っても、何回かすると、やる気がなくなり、それなら自分で取りに行けばいいのにという態度をとった。しば犬は、シベリアンハスキーと同じくらい狼に近いという学者もいる。

 

そんなやんちゃなりょうも、この二、三日の冷え込みで、いろいろ不満を訴えるようになった。加えて、庭のあちこちの隙間にはまり、夜中でも大声で助けを呼ぶようにもなった。結膜炎の目薬を点眼するのは、しやすくなったものの、目が見えないことは、新たな試練を生み出している。その一つ一つに対応しながら、世話をしている。

今日は、寒さに慣れたのか、小屋の中で、湯たんぽを抱えて寝ている。

明日の朝は、また、目薬だ。