アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

ペケル先生はてな?

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ものしり博士と、いう番組が昔NHKにあった。

夕方、たぶん、木曜日か土曜日。

6時前に、口笛の音で始まり、「ケペル先生、こんにちは〜」と呼ぶ声と共にケペル博士が画面に現れる。

博士は、「やあ、こんにちは。元気かね? なんでも考え、かんでも知って、なんでもかんでもやってみよう」と毎回同じ挨拶をする。声は、熊倉一雄。そして、白手袋のその顔の大きさからすると、明らかに大きすぎる両手を動かしながら「さて、きょうは」と、その日の放送のテーマを話す。

テーマは、自然や宇宙などの科学から文字や習慣など文化まであり、それこそ、何でもかんでもの状態であった。

ペケル先生は、はじめは白黒であったが、すぐにカラーになった。それは比較的早く、カラーテレビを設置した時点で、ペケル先生は、色付きになった。だから、家々によって、具体的にわかる尺度が違った。慣れたものだと、たとえ白黒でも、色の判別がつき総天然色で見えていたのだが、この番組は、わからないことや知らないことをテーマとしているので、さっぱりわからないこともあった。

当時は、物知りで、たくさん覚えていることこそ、賢いとされていた時代ではあるが、ペケル先生は、開口一番、「何でも考え」と、言い始める。

 

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覚えてるだけではダメだ。失敗してもいいから、自分で探してみるのだ。そして、一応自分のものとしたならば、とりあえずやってみようと、せきたてる。

 

子どもが何かを見たり、何かに出くわしたりしたら、まず、何だろうとか、どうしてかと、不思議に思うものである。それを、この番組はとても大切にしていた。変だなあとか、おかしいなあと、思わせてくれていた。

 

今の教育でも、自分で考えるということは、なかなか指導できないと言われる。だから、グループを使ったり、ペアを使ったりして、さも考えさせているように見せている。考えなさいと言っても、進んで考えない子どもが多くいるらしい。

その原因は、元々の素材の悪さと、教師の教えたがりの精神と、家庭のしつけの悪さである。家庭という条件が入り込んできている以上、教師の努力だけでは、うんともすんとも行かなくなっている。

先日も、美術館に来ていた小学生は、本当に、しつけがなされていなかった。走る、作品に触れる、ガラスを汚す。言葉遣いが悪く、大声で話をする。ありがとうとお礼を言うときも、わざと大きな声を張り上げ、野球部の挨拶のような言葉遣いで、目の前の大人に向かって話をする。

 

このままでは、教育を二分化しなければならないだろう。何でもかんでもやってみる子どもと、危なくないことしかさせられない子どもである。日本は、あまりにも、平等に教育にお金をかけすぎた。高校まで行っても、何も勉強していないふざけた生徒もいる。大学も、加計学園を含め、三分の一は、いらない。

 

さて、ペケル先生。

今の時代に蘇って、もう一度、学ぶことの意味を、子どもたちに知らしめてほしい。