アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

カイゼンなんて

改善という言葉が、社会の隅々に至るまで浸透し、猫も杓子も、どこか違和感を覚えながら、なんとなく過ごしている。

ずいぶん前から、トヨタ自動車が導入し、どういうわけか、小泉政権で民間企業の方が健全で優秀であるという、間違った価値観が浸透したため、おおっぴらに役所にまで導入され、ついにはなんの生産性も求めないはずの、教育の世界にも、それは侵入してきた。

 

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残念なことに、教育の世界も、別の意味で競争社会である。バレーボールができる、卓球ができるというだけで、神戸では校長になれるという。職員の親睦のスポーツ大会で優勝することが、何より尊ばれる。子どもが通っていた小学校では、たいそうバレーが強かったらしく、朝会で校長が高らかに戦果を紹介し、こんな立派な先生に教えてもらって幸せですねと、言われていた。おかげで、うちは、バレーボールも、卓球のラケットも買い、休みの日は、体育館の卓球コーナーを予約して、子どもと練習した覚えがある。こうした体育ばかりの生活で、子どもの算数の考える力は、さっぱり伸びなかった。

神戸の学校では、そんな人権無視な指導が行われてきた。中学校では、男子は丸坊主。教師の合言葉は、「健全な精神は健全な肉体に宿る」、であった。体の不自由な人や、病気の人のことはそっちのけの、名言である。これにわたしは、中学生の時にその矛盾に気づき、教師に見解を求めたことがある。しばかれた。

 

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職員組合も、教育委員会と結託し、役員は必ず校長になる。御約束の世界。癒着なそうな。早く教頭になる特急券が委員会からもらえる。こんな労使関係は。違法ではないか。役員は、組合員の教師の真摯な悩みを、委員会にチクる仕事である。いやなに、証拠はもう掴んでいる。

そういう、胡散臭い教育の世界にも、改善が導入されたらしく、教育のわからない親にさえ、学校目標や評価基準とか並べ立てて、出してくる。

素人ながら、生身の人間を扱う学校に、生産現場にあるPDCAサイクルがそのまま通用するはずもなく、それなのに、私のクラスは、漢字の書き取りを50パーセントはできるようにしますと、大見得を切る。

 

しかし、人間は誰しも行いを反省し、次に活かすことをしている。こんな当たり前のことを言うのは、よっぽど頭のおかしな奴か、日本人離れした目立ちたがりか新し物好きか、無教養な奴であろう。

フィードバックとか、アクションとか、日本語で言い直せるものをわざわざ発音やイントネーションが違う外国語で持ち込む奴とタバコを吸う奴は、二流であると、予備校の恩師に教えられた。明治の人は、正しい発音のまま、外国のものを受け継いだ。ペルリもオロシアもそうである。そういえば、芥川龍之介の作品にも、よくカナで表現されている。

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話を元に戻そう。どうして100パーセントではないのだ。相手が人間だから、必ず成長していくものではないであろうに、必ず、予想以上に出来上がりましたと報告がなされる。半分ぐらいできるかなあと思っていたら、なんと私の指導の成果でこんなにもできるようになりました。という意味合いのプリントが、ちょうどこの時期に配られる。

しかし、こんな教師は、失格である。

どうして、初めから全員ができるようにしますと言わないのだ。失敗したとしても、教師なら、その努力はし続けるものであろう。バレーボールの練習があるからちょっとね、というわけにはいかないであろう。

 

昨日、学校からこんなプリントをもらって来たと、ご近所さんとの話の中で、話題になった。

学校の評価アンケートである。

それによると、学校に喜んで行っているという子どもが、6年生が一番多いという。こんな殺伐とした6年生が、学校に適応しているなんて変だということであった。

結果から考えて、3つの原因を突き詰めた。

①私立学校受験生の親の忖度

②担任が子どもを変える指導をしなかった。

③そんなこと親にはどうでもよかった。

特に、②の、何もしない教師には苦情はない。新しいこと、子どもを変えようとするなら、子どもや親との間に軋轢が生じる。それでも子どものためにとやると、今の世の中、たちまち教育委員会、マスコミ、地域の教育評論家、オバハンヤクザという構図になる。突拍子も無い事をする子どもであっても、ニコニコして叱らなければ、親からの抗議はない。

それだけのことだ。

聞いてみると、この6年の担任は、子どを、ちゃん付けで呼び、やたら気持ち悪いほど褒めるという。懇談会でも、親のことをお母ちゃんといい、やたら親も褒めるらしい。アホらしくなってくるが、顔が怖いから、言えないらしい。

こんなインチキな、担任でも、神戸市は、これ以降明らかにしていく方法と忖度で、教頭、校長に成り上がっていくのである。