アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

人気取りの電話するな

昨日は本当に、気持ちのいい1日になったが、また、その気持ちを害するようなことをしやがった。

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例の、インチキ加計学園、大阪のお父さん拉致人権蹂躙事件、別名森友学園の下手人安倍総理である。自民党の中でも、どうしようもない自分勝手さで、かなり鼻つまみ者だ。

 

マスコミは、なぜか、あの事件の矛盾や、本来ある公務員の手心にまで取材することなく、問題視できていない。いや、そういう能力すらマスコミにはない。国民生活に、直結した不正や、税金の無駄遣いにすら、言及しないで、不倫話や、下ネタばかり追及している。

 

なぜ、話を聞かれるだけで、籠池のお父さんは拘留されているのか。それは、罪を認めていないからだ。刑法上の違憲行為として、罪を認めなければ、釈放しない。それは、無罪であっても、罪を認めないと家に返さないということだ。

ということは、正しいとがんばっていることであり、相手の安倍には何ら話を聞くこともない。大阪地検も、クソ組織なので期待はしないが、あれほど、大阪のおばちゃんの味方の、毎日と朝日も、目立った動きはない。喝である。

 

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こんな変なことがあってはならない。日本国憲法で保障されている、基本的人権の尊重を、著しく侵害している。安倍側の主張が暴かれるのを防ぎ、国税庁や安倍の自己主張を垂れ流すための、口封じである。これでは、いつまでも、江戸時代と変わらない。いや、実際維新と言われていた明治も、封建的な制度やコネ、金がモノを言う公務員制度を、長州や薩摩の、民主主義が理解できない連中で、温存させてしまった。それが、今も、公務員の世界には、完璧な形ではびこり、税金の無駄遣い、必要性のない天下り、といった実質的な行為とともに、自由闊達に未来を組み立てていく芽を摘んでしまったのである。

 

トヨタが、世界のクルマづくりの波に大きく遅れをとっている。技術の日産、安全のスバル、エンジンのマツダ、燃費のスズキ、タントのダイハツ、夢のホンダ。今のトヨタはと聞かれたら、もう、名前だけのトヨタしか出てこない。

世界の自動車メーカーが、脱ガソリン、自動運転化、完全安全化、小型エンジン化、など、10年前に舵を切ったのにもかかわらず、いつまでも、自社のハイブリッドという、実にいい加減な装置の普及を世界にいたらしめようとした結果、相手にもされず、置いてきぼりになった。今更、安全のトヨタといっても、高級車や、上級者にしか新技術を登用しない、トヨタのファーストクラス生産方式では、どの車にも新技術を登用しようとするスバルには追いつけない。

 

それと同様に教育の世界も同じである。

多くの国は、新世紀を迎えた2001年から、コンピュータ時代を見越して、本当に必要な力は何か議論をし、自ら考え決定し、そして表現していく力こそが、一人ひとりの、子どもが身につけることが大切だと、日本の総合的な学習の時間に相当する、子どもの活動を重視する教育をいち早く取り入れた。アジアでも、2008年までにほとんどの国が、その方向に舵を切った。

 

しかし、日本は、受験産業からの反発や、少子化を見越した、教育に関わるさまざまな学会や商売人が、自民党政権に介入し、当時から始まった新自由主義という一人ひとり勝手に儲けても良いという、まことに金持ちだけに都合の良い制度の導入とともに、一気にゆとり排斥行動がおこり、連日、公立校の事情など無知の安倍が、執拗に教員批判を繰り広げ、このままではアホになると、2010年に再び、知識技能中心の詰め込み教育に突入したのである。世界もびっくり。岡山の受験産業業者に感化された文科は、全国学力テストを実施し、テストの平均点を、明示し、日本海側の県が優秀だとやらかしたのである。平均点など、なんの意味もないが、今も、この比べられるという数値のために、全国の教育委員会という、これまたいい加減なコネと金で集まった、成れの果ての集まりが、学力を上げなければと、テスト問題への慣れと点数アップのためのケアレスミスをなくすために、独自のテストを、これまた受験産業業者と、結託し作成し、採点まで依頼している。神戸では、4年生からあるらしい。また、読み取りの教材も受験産業業者に依頼して、作成している。おそらく裏金が動くのだろう。

 

テスト、テストで、あの、OECDの学力テストに立ち向かおうとしているのだ。しかし、PISAのテストは、大げさに言えば、細かな知識などもう必要なく、それをどう使うか、何に使うのかが問われているのである。自分で考え、自分で判断する、そしてわかりやすく伝える。これは、世界のスタンダードなのだ。

まさに、日本が捨てようとした、総合的な学習の時間にこそ、その答えがあったのだ。10年も遅れ、ちょこっとだけ実施されるが、おそらく、英語や道徳など、アホみたいな新教科のために、おそらく何年かは、何も変わらない。

 

さて、話は大きくそれてしまったが、いずれ出版したい。

羽生選手は、自分の身体に向き合い、自分の考えで、自分らしく生きている。

教育勅語を読ませたり、強制的に道徳を押し付けたりして、国民をコントロールしていこうとする安倍が、軽々しく、自己実現している羽生選手に、電話するものではない。

 

この前の、国民栄誉賞と同様に、森友学園問題などの、興味関心のはぐらかしだろう。そのぐらいのことは、裏読みできないといけない。そしてガリガリ噛みつき、口に出さないといけない。

それが、民主主義社会の中で生きる、われわれの役目なのである。