アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

書き順なんて

この差って何という番組で、漢字の書き順の差が出ていた。筆順のテストで定番の、必や、ややこしい馬、最近話題の上になどの書き順が、実は20代以下と30代以上の人とは、違うということの実証をしていた。

最近の、国語審議会のよくある漢字にまつわる急な変更であったと思ったのだが、実は、昭和30年初頭に、今の書き順は決められていたというのである。

 

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教師の指導や、書道教室での指導など、それぞれ、指導者に任されていた。それが平成になって徹底されるようになったという。

 

それはそうなのかということであったが、そもそも、こんなことを問題にするって変なことである。特に、小学校の4年生の時に、漢字の書き取りテストで、17点という歴史的な点数を取ったわたしではあるが、それ以来、漢字にはかなり偏見をもって生きてきた。漢字は、自分で覚えるものであるとわかるまで、2年もかかった。おかげさまで、伯母が隠していた林芙美子の「めし」という小説を、6年生で読むことができた。

しかし、うさんくささがつきまとう。

まず、筆順の根幹は書道、つまり筆の運びをもとに作られているということである。ペンや鉛筆で書く文字であるのに、筆順の作成過程には、筆の運びが導入されているのである。

次に、筆順そのものは、何の意味もなしていない。決めた人だけが、決めたから従いなさいと言っているだけである。クイズの問題にされても、そうであっても、ほんとうに綺麗に書けた試しはない。綺麗な字に書くためなら、もっと基本からすることがあるだろう。なにか、おまじないみたいだ。日本人でもこんなに混乱している。30代以上は筆順が違うからと、人生に失望したか?

おそらく、日本文化なんとかと、国粋主義の一片として、国語教育を太い柱としたいのであろうが、そもそも、明治時代ではあるまいし、国の言語なんて、統制的で発展性のない言葉である。むしろ、国語は日本語として、外国人にも学べるものになるほうがいい。

実際、今回の国語審議会は、かなり、漢字の形や、書き順に幅をもたせているが、今日のような、テレビ番組のクイズにしかならないのである。

こんなことで、また、漢字の書き取りテストが流行って行くのは忍びない。