アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

けったいな卒業式

卒業式って、学校行事の中で一番大切なものだと思う。その学校で学んだことを披露する最後の日であるし、儀式の意味が希薄な教員にとっては、子どもとの最後の思い出づくりの日なのである。

 

金八先生が遠い記憶になり、卒業式でサプライズやどんちゃん騒ぎは下火になって来たものの、学校によっては、未だ臭い芝居を見せる卒業式がある。

 

何度も言うが、卒業式は、儀式である。儀式というと、なにを今更と感じるが、きちんとけじめをつけ、それを乗り越える緊張感が、その子を成長させる。

 

神戸の小学校では、未だ、サプライズをしているところがある。びっくりした。親戚から聞いた。こんなのあり?と。子どもたちから担任にちょっと待ったがあり教師に思い出を語り、教師から子どもたちにちょっと待ったがあり、教職員が歌を歌う。本当に、馬鹿馬鹿しい芝居が、保護者や来賓の前で繰り広げられる。段取りの練習や、声合わせなどしているはずであり、子どもに迎合した演出である。まったく、学校長はなにをしているのだ。

調べてみると、その学校は、毎年、学級崩壊をしている。子どもを下の名前で呼ぶ。先生も下の名前で呼ぶ。人権が大事だということらしいが、なにを考えているのか、子どもと馴れ合いなのである。

そのくせ、教師はジャージ姿で、お気楽。子どもは、先生を友達の1人として扱い、気に入らなければ荒れる。聞くところによると、元校長と言う人が、闇の研修会を開き、できもしない理屈もない勝手なことを、吹聴し、混乱させていると言う。神戸市は、こういう人権派の奇異な考え方の人を重宝している。ていうか、同和教育として、指導が困難な学校こそ、教育の基本だという考え方である。だから、管理職になる人は、いわゆる同和校経験者なのである。

なんじゃこれは。

だから、まともに教科指導や子どもに合わせた生徒指導をやっている人は管理職になれない。コネと金と同和なのである。それが、何十年も続いている。どうだろう。

怒鳴ったり、子どもと馴れ合いになったりすることが、当たり前になっているのである。教育委員会の幹部から一掃しないと、本当に実力のある教師も、どの子どもも育つ学校もでてこないのである。

ああ、世も末だ。