アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

被災された方々のお見舞い申し上げます

阪神淡路大震災を経験したものにとって、今回の大阪北部地震は、あの惨事を思い出させるものであった。お亡くなりになった4人の方々には心からご冥福を申し上げたい。

阪神淡路大震災では、家具の下敷きになったり、ブロック塀の下敷きになったりして、亡くなられた人がいたが、それ以上に家屋倒壊がひどく、国民の関心もそちらに移ってしまったように思う。

家具が転倒しないような棒とか、振動吸収剤とか、一時購入しようというキャンペーンもあったが、もう、ホームセンターにも、特設コーナーはない。

先日、職場で家具の転倒防止の話が出て、そういえばつっかえ棒が売られていたけれど、あれと、家具の下に敷く振動吸収剤とはどちらが効果的かを議論したばかりであった。

揺れ始めたら、部屋の中のものは全てが凶器になる。実際、阪神淡路大震災では、加湿器が頭にあたり割れて髪の毛がビシャビシャになった。軽いベビーダンスなど、簡単にひっくり返る。体の上に覆いかぶさってきた。テレビはミサイルになる。そう思えば、もう一度我が家の地震対応を見直したい。

 

ところで、今回は違法建築で、プールの壁が崩れ女子児童が亡くなった。あと、数秒なんとかならなかったのかと思うと、本当に残念でならない。しかも、朝の挨拶当番で早く登校していたというから、もっと残念でならない。

 

多くの学校は安易に、子どもに挨拶当番をさせている。挨拶は当番でやるものでもなく、そういうものが運動になるわけがない。元気な挨拶をすると、相手を元気にするなど、まるで、心理学の理論を吹っ飛ばすようなことを並べ立てて、教師は挨拶を運動としてやらせる。教師の前では、子どもは、純真無垢であるべきだと多くの教師は錯覚している。本当に指導すべきことなら教師が指導したらいいことなのだ。このように、やらなくて良いもののために、命を失わせてしまった大人の責任は非常に重い。

 

また、教育委員会には、施設課という部署があり、主に行政職が行なっている。一体何をしていたのであろう。違反は違反である。

しかし、能天気の教育委員会が諸悪の根源なのに、学校教育のトラブルは、実際子どもを指導している教員が責任を負い、罪を負わされることが多い。

6年間学習しても英語は自分の学力にはなり得なかった。9年間道徳をしても、ネトウヨは増えたものの、犯罪は無くならない。

この原因は、文科省の学習指導要領にあるのであり、それを履行している教員には、それを曲げて勝手にすることは認められていない。いじめも、それを第一義の問題として取り組んでいけない多忙さと、社会の価値観の多様性に対応しなければならない現場の遣る瀬無さがある。

ひどい感覚の親がうようよし、躾けられてもいない子どもをいきなり躾けていくのである。

話は、外れてきたが、今回のブロック塀は、校長の責任でもあるし、教育委員会の怠慢である。

 

さらに、小中学校のプールは、盗撮の的にもなるという。カメラを向けて水着姿を撮るマニアもいるらしい。おかしな世の中である。だから、壁は高くなる。

よく考えると、学校にプールは必要なのだろか。夏の一ヶ月ばかりのために、あんな広い場所と高い施設を準備することは、本当に必要なのか。水道代も馬鹿にならない。

プール指導の雑踏の中で、学校は殺伐とし、子どもはだらけ、教師は疲弊するという。

水泳が、そんなに大切なことなら、夏休みに、水泳教室と称してスイミングスクールに1週間任せるとかにすれば良い。もちろん体育の時間としてカウントする。そのぐらいのことをしないと、子どもの命を失った教訓といえないではないか。

 

天災は忘れた頃にやって来る。

この調子では、来たる南海トラフには対応できないことばかりである。

時間はない。どうしよう。