アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

悪い奴はもっといる。

ボクシング連盟の話や、大學の不正入試事件の話など、今日のワイドショーは、朝から辞任か、続投か、はたまた減点は何点かと、いろんな人がいろんなことを言っていた。社会正義がなにかを言わしめているのか言えば、そうではない。道徳心がそうさせるのかと思えどそうでもない。

悪いものは悪いんだとか、私ならそんなことしないとかのレベルである。寄ってたかって非難し放題。簡単な構図である。スタジオが井戸端会議の場に代わっただけだ。

しょうもない。

 

こんなこと、どの世界にもある。

神戸市の教員採用試験など、ずっと前から疑惑がある。管理職登用試験など、論文だけなので、主観、誰かの主観で決められて来た。小さい字などかけない人も、合格している。嘘の世界、委員会のとりあえず手続きをねと言う世界なのだ。誰かに頼まれ、何かを許してもらい、教頭や校長になっていく。初めから志などないから、学校は変わらない。自分を管理職にしてくれた校長のことを守り、なかなか職場は変化しない。これは、私の会社でも、変わらない。

論文を採点する側は、コネでその地位になっているのに、どうして採点できるのだろうか?

 

日本は平安時代から、ずっと告げ口、悪口の世界であった。あの菅原道真も、その被害者だ。能力のあるものは、いつも妬まれ、つまはじきにされる。能力のないものは、自分を磨くことなく、相手を陥れる。こんなことばかりやって来たのだ。

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今言葉が、荒れ始めている。若者のヤバは、すごいである。裏の世界の言葉がはやり、しきたりが入ってくる。小学生は自分のことを俺と言う。この前は幼稚園児が話していた。敬語がうまく使える若者も減っている。このままでないこの先、偉いと言う感覚が変わるのではないかと思う。若者とお年寄りが同数に近づくと、尊敬や感謝の気持ちが薄れるのではないかと思う。

入試など、特に入学がすぐに年収につながる医学部入試は、昔からずっと不正があるはずである。国立でもある。医者の子は医者である。医者でないと困るからだ。だから、お金持ちの世界として、見て見ぬ振りをされて来た。庶民がいろいろ口出すことではないのである。

 

スポーツだけしていた高校生が、有名私立大に入れるわけがない。推薦入学、AO入試一芸入試とさまざまな抜け穴があり、スポーツ選手には、下駄はかせがある。価値観が違うテストが混在し、いくらでも、裏口入学ができる。そういうシステムだ。

また、芸大には、オープンキャンパスに行くだけ入試があり、日大芸術学部など誰かのコネが働いているに違いないとしか思えない、なあなあ入試である。一方で早稲田は、きちんと入試を受ける学生は、3割にしか過ぎない。関西の関学も、学生確保のために、パッとしなかった私立高校を付属にしている。世も末である。なにを学びなにがしたいのかがわからない。そんなことどうでもいいのだ。

 

不正はあちこちいっぱいある。それで成り立っている日本なのだ。

そういう矛盾を掻きださないと、なにもならない。

正直、もう疲れた。