アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

批判は悪口ではない

こんなにみんなが困り、インチキだと気づき始めている政治であるが、この手法は、この政党の常套手段であることに、どうして今まで気づかなかったのかと、改めて思う。

 

気づいた人はまだいい。

自分が生まれてきた意味や、社会との関わりが少なくとも感じられる人である。

 

たくさんの人が、手遅れで亡くなられ、世界中から最低の対応最悪の指導者と揶揄されているのに、現政権の支持率はまだ40%もある。ヨーロッパでは、おそらく一発アウトである。

 

野党が主張する生活支援の仕組みを、取り入れたらプライドが傷つくと、政権は無視を続け多くの事業所を倒産に追い込んだ。批判や提言をアドバイスと取らず、嫌がらせや悪口だと感じていたのだろう。まだ、10万円どころか珍奇なマスクもこない。

 

最近の若者の、中には、批判を悪口であると捉える人が多い。わからないことは知らないままでよく、任せておいたらいいというものである。わたしの家族もそういう傾向にあり、世の中に不満はあるが非難はしない。

 

高度経済成長の時でさえ、戦いの中でそれぞれの基本的人権が整えられてきた。黙っていたわけではない。旗を立てて、デモ行進をして働く者の生活向上を訴えた。

また、賃金の値上げも、ストを匂わしながら妥結してきた。改革のベクトルが、国民から議員に向いていたのである。

 

それがいつのまにか、電話世論調査や、もっといい加減なネットではという出所がわからないもので、民意を勝手に読み、国民は等しくそう考えていると発表されてしまうようになった。

 

職場では、現政権をよしとする人は皆無である。学歴、男女、既婚独身など、雑多な集団でである。インチキが始まった⑥年前から、いつも、胡散臭さが漂っていたのであるが、民意の支持率はなかなか下がらなかった。

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これは、個人としてまだ独立できない、日本という国の伝統と、目上の人には逆らわないという漬物樽に浸かった儒教精神によるものだろう。

 

うちの家族は信心深くもなく、身近な人の悪口は言うものの、政治家の批判はあまりしない。

言っても仕方がないという邪魔臭さと、自分がその政権運営側のカテゴリーに入っているんだという、勝手な思いがあるのだろう。

 

今日,週末に行われたJNN世論調査が発表された。普段ボーッと生きている国民に、学校9月入学制や、政党の支持を聞いている。民意はこうであると言っているのだ。

 

批判は、やっている事をより良い方に導くこともできるし、間違いを正すこともできる。違う方向から点検するということで、これができないと、仕事もできない。伝統芸能でも、伝統工芸でも、守破離という言葉で、伝えるもののさらに努力を説いている。破というのが、疑問を持ち自分なりのやり方や方法に気づくことなのだ。だから、誰もがこの批判的精神を少しながらも持ち続けることが大事だ。

 

いつも言っているが。人の能力はそんなに大差はない。以下ちょぼちょぼである。その場にいた人がたまたまその仕事を成し遂げるのであって、いわば偶然の中に生きているということなのだ。

 

どんどん批判をしよう。

まずおかしいと思うことが大切だ。

 

だったらお前がやれと言われてみよう。その言葉は、相手の捨て台詞であり全面降伏である。

やらせてもらえるならやらせてもらおう。

人間、別の切り口に気づいた人は必ず何かできる。

 

そして、嘘や偽り、インチキやごまかしで塗れた世の中を、ホンモノが胸を張れる世の中にしよう。令和の黒船は、日本が真の福祉国家、正しい民主主義国家になれるかどうかの、試金石なのである。

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