アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

学力は下がらないのだ

コロナの自粛で学校が長く休校が続いている。

3月には慌てて休校宣言が出され、文科も現場の学校も、てんやわんやで大変だった。子どもや学校のことをあまり知らない人が、なんとかなると思ってしたことらしい。

学校で1番大切なのは卒業式だと聞いたことがある。こういう節目に丁寧なことをすると、子どもも親も成長する。子どもは、自分が大切にされていることを再確認し、親は、子育ての意味や責任を再認識する。

 

5月もいよいよ後半、学校再開が危ぶまれてきたのだが、急速に登校の動きが出てきた。このままいくと、9月入学とか突拍子もないことまででくるところであったが、9月入学については少し前に懇談会で検討されたことがあるが、そうならなかった。せんもんかかいぎで、議論され否定されたことを、どさくさ紛れにするべきではない。愚行であり、ポピュリズムの片棒を担ぐことになる。

 

今日から始めたところもあれば、学年ごとに登校日を指定し、混み合わないようにして授業をすすめるところもある。それぞれ、現場の先生たちがよく考えて、しっかり準備してきてくれていることである。医者と同様、教師は教育の専門家である。学校で指導する以上学力が落ちたり、できないままでいることはないであろう。

 

だいたい、学力というと、漢字や計算、実験の結果や地名や年表を覚えることであると思われるであろう。しかし、そうではない。

その人が、新しいことに出会ったときに、それをのりこえるために、その子にとって必要な力がその子の学力である。だから、一人ひとり違うのだ。

今年度から、そういうコンテンツより、その子が知識や経験を得たことから自分の資質を成長させたり、得た技術などの能力を使えるようにしたりすることが、大切にされる。コンピテンシーというものである。

 

つまり、自分で考えることが1番求められることとなり、そのため、文章を書いたり、図表で示したりして、ひとまとまりのことができるようになる子どもを目指している。

 

それならば、子どもが考えるような授業を組み立てていけば、なんら遅れはとらない。プロに任せればいいが、それより、学習指導要領の授業時数が問題だ。年間に学習する時間を、学年ごと教科ごとに表記しているのであるが、⑥月スタートでは、全時間学習しきれないこととなる。だからもう、夏休みを短縮する案も出ている。

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体育や英語多くない?

 

しかし、そもそも、年間学習時間とは何ものなのかは、はっきりしていない。調べてみると、やたら国語の時間が突出して多く、国語の教科書を見てみると、本当に無駄な学習のオンパレードである。これでは考える力はつかない。

それならば、もっと短く、自分の考えを端的にまとめ、わかりやすく表現できる力をつければ良い。アホほど長く学校に拘束しておくことはない。

 

そういうことで、文科省は、まず年間授業字数の運用を緩和し、ダイレクトに考える授業を実践できるようにすることである。

 

心配ない。阪神淡路大震災の時も、長く学習はできなかった。それより、文科省や、教育委員会が、あまり現場を締め付けないことである。とくに、地方の教育委員会は、目立ちたがりの偉そうな態度の教員が、新しいことを勉強することなく、過去の実績?で幅をきかせているので、その辺りをハエ叩きで、ピシャッとやってくれればいい。

 

さて、家にいる子どもには、たくさんの課題が出されている。その内容を聞いてみると、たいてい漢字ドリル、計算ドリルというドリル学習が、主流である。並の教師は、子どもが学ぶということは、既存の文化遺産の暗記だと思っている。テストもしやすいし、可視しやすい。しかし、これは学力ではない。

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この際、たくさん好きな本を読む。好きな趣味をする。テレビで好きなドキュメンタリーを見る。好きな音楽を聴く。ピアノを弾く。作曲をする。服を作る。暑いけど編み物をする。家族の昼ごはんや晩ご飯を作る。友達と電話する。など、今の生活の延長線の中で、自分の好きなことを思いきりやらせれば良い。

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なっちょポータルより

そうかといって、安易にスマホを見せておけばいいというものではない。まして、学校がPCなどを配って、間に合わせの面白くない教材を配信するなど、税金の無駄遣いであり、メディアリテラシーが整っていない家庭への弊害も多い。

どんなことをしていたのか、何がわかったのか。どんなことに困ったのか、を記録して再開後に発表させれば良いだけだ。

その作成は、低学年の子どもには難しいかもしれないが、親が手伝えばいい。この際、塾や通信教育に丸投げして怠慢にしてきた家庭教育の価値も高めたい。実は、通信教育のレベルはかなり低いことに、大半の大人は、まだ気付いていない。

 

覚えることが、学力と思っていた教育を、考えることが本来のあり方なのだということを、旧学力人も、理解する必要がある。こんなものでと言われるかもしれないが、こんなものの中に、その子が真剣に考える、次を見越す、将来を考えるという力が、培われているのである。

教科書を学習しないからといっても、決して学力はさがらないのである。一人ひとりの体験や経験はそんな捨てたものではない。

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