アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

明日、高取山にしない?

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登山といっても大したことはない。

あっという間に山頂に着く。若い頃は。

328メートルという、中途半端な高さが、いつでも登れるという人々の驕りを呼び、登らない人が増えてきた。しかし、50年前には、手軽な娯楽として、日曜日は、とても混雑をし、登山道は、すれ違う人でいっぱいであった。と思う。

 

幼稚園の遠足でも、小学校の自然観察でも、中学校の駅伝でも、高等学校の部活でもクラスハイキングでも、高取山は、御指名であった。

日曜日ともなれば、家族総出で、山登りに行くことが多く、飼い犬を連れて行き、すれ違う犬と喧嘩しないように犬の綱を引っ張っておくのが子どもの仕事であった。

途中にある茶店でも、名物のおでん(関東だき)を、食べるのに、席がない時もあった。輪投を借りるのも、なかなかできなかったし、卓球などなかなか順番が、回ってこなかった。

 

しかし、淡路島や近隣の山が娯楽の中心であった高度経済成長期を過ぎ、バブル経済期になると、沖縄や北海道、海外旅行に、旅の行き先が変わってしまった。遠く行くこと、知らないところに行くこと、高い山に登ること、など、見栄と虚勢を張ることが、ステイタスになってしまった。

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そのため、それまでフェリーが神戸からも長田からも須磨からも出ていた淡路島への旅行は廃れてしまい、高取山など神戸な裏山へは、登らなくなってしまった。洲本の馬も、鳴門の渦潮も、茶店のおでんも、みんな高いご馳走や豪華なホテルに代わっていったのである。

 

たまに3000メートルの高山に登る前に練習で登る高取山は、年々寂れていった。しかし、六甲縦走の山として、トイレが整備され、1番上の月見茶屋には、裏から車で行けるようにもなった。人は減ったが、整備はしていたのである。しかし昭和30年代にたくさん建てられた祠や石碑は、清掃や整備されることはなく、かなりくたびれてしまっていた。

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実際1番下の清水茶屋は、しばらく閉店していたし、安井茶屋も、別棟を倉庫にし、広いグラウンドに犬を放したり、イベント会場のようなものにしたりしていた。いつも、ここで遊んだなぁとか、犬が逃げて捕まえに行ったなあとか、思い出していたが、だんだんその面影も無くなってしまった。

 

しかし、コロナ禍である。

山に、たくさんの人が戻ってきた。一時山女ブームもあったが、それは、単体の山としてはなく、六甲縦走としての通過点であった。しかし、今度は違う。中学生や高校生が、昔のように登ってくる。とくに、小さい子どもを連れた家族連れが多い。

お弁当を山頂の高取神社で食べている人もいるが、今日は1番上の月見茶屋は満員であった。f:id:deebtomy8823:20210220181433j:image

ここは、可愛い猫もいるが、花も手入れをしていて、登山客のものだろうか、なぜか小説をくれるのである。

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天気の良い日には、ハンモックで読書もいいだろう。そうだ、ハンモック体験の場があれば良い。なかなか、順番は空かないだろうけど。

 

高取神社では、ベンチは全部塞がっていた。たくさんの人である。山頂はもう少し上にあるが、それを説明している人もいる。久しぶりに故郷に戻ってきたみたいな雰囲気である。

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やや霞んでいるが、景色も良いし、ちぬの海を行き交う船も素晴らしい。帆船も、巡視船も、加藤汽船の高松行きフェリーも見える。

 

海と山、神戸ならではの景色である。

これが家からわずか40分で味わえるのだ。

おまけに、可愛い猫があちこちにいる。野良猫に餌を与えては行けないと勝手な人は言うけれど、いま、人里離れた餌のない山に住み、キツネの脅威に晒されている猫たちを、登山客はものすごく大切にしている。わたしも、鰹節をポケットにいっぱい詰め込んで、持って上がった。

 

どう?明日高取山にしない?

花粉多いけど。

 

たかとりは、古代からの呼び方で、何かすごいものだということを、本で読んだことがある。

どうすごいかわからないけれど、意味が深いらしい。