アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

老犬の黄昏

我が家には芝犬がいる。

オスで、14歳と3ヶ月を迎えた。

人間で言えば、とうに80歳を過ぎているという。健康ではあるが、昨年から目が見えなくなり、今年は足がおそくなり、体を揺すって歩くようになってきた。日に日に衰えが見え、横になって寝ている時間が多くなった。

そういうわけで、家では綱をつけず庭や畑に行けるよう放し飼いにしている。

あちこちぶつかりながらも、門まで行き、少し傾いた犬小屋まで帰ってくる。たまに、散歩に連れて行くと、「かわいそう」と言われてしまう。

 

実は、我が家にはその前にもオスの柴犬はいた。近所の人が高齢で、持ち家を売ってマンション住まいをすることになり、親しかった両親に飼えなくなったその犬を託したのである。

体が大きかったので、大(だい)と名付けた。人懐こく、家の前を通学する女子大生の、結構な遊び相手であった。隠れて何かと、もらっていたらしく、なかなかダイエットは成功しなかった。

飼い始めて2年が経ち、新築した3世代住宅の我が家に、両親と共に、大はやってきた。さらに2年ほどが経ったある日、行方不明になった。前の家に行ったのかと探したが、近くの空き家の前に、きちんと座っている大がいた。

どういうわけか、その失踪は数回続き、いずれも、空き家の前で座っていた。

しかし、ついにクリスマスイブの夜に行方不明になり、そのまま、2年が過ぎてしまった。いい犬だから、大は盗られたのだ。と今は亡き父が自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。

母のペットロスはしばらく続いたが、どこかしらから、猫が迷い込んで来たり、親切にも子犬の情報をくれる人もいた。

猫は、早く夫を亡くした動物好きの叔母が引き取った。

 

しかし、ついにその日は来た。どうしても犬が欲しいというので、ペットセンターに相談に行った。娘の目にとてもよく似た目の白のラブラドールと、落ち着かない柴犬が目に入った。

母が散歩しやすいということで、柴犬に決め、母も一度会いに行った。

そういうことで、我が家にやって来たのである。

 

 名前は、母がりょうちゃんと呼びたいというので、りょうと名付けた。りょうの祖父はチャンピオン犬である。顔が可愛いので、近所の人からも可愛がられてきた。家の前を通る、お年寄りの中にも、頭を撫でたり、おやつをくれる人がいたりした。デイサービスの散歩のお年寄りの相手も勝手にした。

夕方には、門に出て、家の前を行き交う人々や、車を眺めていた。人が来ても決して吠えることもなく、匂いを嗅ぎまくることばかりした。まさに番犬失格である。

りょうが10歳になった時に、毎朝散歩に連れて行ってくれていた父が突然亡くなった。バタバタしているうちに、同じく世話をしていた上の娘がアメリカに留学に行った。

 

それと同じくして、りょうは病に倒れた

背中の骨の間隔が狭まり、ヘルニアみたいになってしまった。起きれなくなった。

寝たきりで、夜中でも大きな声を出してなき続けていた。母も、徹夜で看病をしてくれた。

お医者さんも、ついにはダメだと思い、もう諦めてもいいのではと言い出した。それほど、悪かった。しかし、娘が帰る1ヶ月前から、どういうわけか立てるようになり、裏庭の畑の土の上で寝ていることも多くなった。

こうして奇跡の犬になった。

 

奇跡的に回復したりょうは、やはり今でも、夕方になると、門のところにきちんと座り、見えない目で音の行方を追っている。馴染みのおばあさんから頭を撫でてもらい、励ましの言葉をかけてもらっている。元気になったと噂で聞いた人も訪ねて来てくれる。おかげでガンを克服できたんやと、まるで生き神様のようにも言われることもある。

その役割を知ってか知らぬか、朝夕と門の前に立ち続けているのだ。

最近は、その耳も聞き取れない事もあり、身体を揺すってやらないと気づがないことが多くなって来た。犬の中では、本当にお爺ちゃんなのだろう。

それでも、毎朝ブラッシングをする母に、本気で吠えるのも、家族の手をベロベロと舐め回すのも、小さい時から何もかわっていない。

こんな愛犬を、決してかわいそうだとは言わないでほしい。