パリ祭
昨日は、7月14日、フランス革命の日である。高校の世界史の時間は、先生の専門の東洋史を中心にして授業がすすみ、半年間は、ほぼ講義を聞くだけという安心安全の時間を過ごしていた。
とは言っても、社会科大好き青年であったわたしは、中国人が聞いても納得するような詳しい中国史や、誰に聞いてきたのかと疑いたくなるような、西アジア史を、歴史地図帳を側に置きながら、メモをとっていた。
どんな色なんだろう、どんな匂いがするのだろうと、夢を巡らせていた。
しかし、世界史の後半、いよいよ近代にはいり、次第に歴史的な要素が多くなって、半分の生徒は、もうわからんわとお手上げ状態になってきていた。、
そうした状況を快く思わなかったのか、ある日先生はいきなり、あとはまかしたと言ったのである。日本史ならともかく、世界史なんぞ、たくさんありすぎてわからんわ。というのがせめてもの、聞いておきましょう軍団の抵抗であって、いよいよできませ〜んの大合唱が起こりかねない状態を迎えた時、先生はたくさんの歴史的な要素を書いたプリントを配ってくださった。
この中で、好きなものを選びなさいと言われても、何が何かわからないのであるが、とにかく自分で調べて、1時間の中で、わかりやすく発表しなさい。とのこと。
いろいろ迷ったが、よくわからないままフランス革命を選んでしまった。その日から、 図書館通いが始まり、確かフランス革命の新書や文庫本を買い揃えた。
ダントンやロベスピエールなどたくさんの人物が登場し、ルイ16世やマリーアントワネットなどブルボン王朝の歴史、そして、ほとんどわからない哲学。
とにかく発表までの2ヶ月。模造紙で資料を作ったり、写真を拡大したり、頑張ったことは覚えている。
当時の革命歌でありマルセイユの義勇兵が口ずさんでいた「ラ、マルセイエーズ」が国歌になるぐらいだから、革命の精神は今でもフランス人に受け継がれているのだろう。歌詞は過激で、すごいことを言ってるけれど。それも歌うことにして、練習もした。
結局、よくわからぬままたくさん伝えようとし、それもあまりの要素の多さからしどろもどろになり、与えられた1時間は「テニスコートの誓い」で終わってしまった。ということで2時間も説明に要したのである。
当時のことは断片的しか、覚えてはいないが、それ以降フランスが身近に感じられ、大学では第2外国語としてフランス語を中級まで単位を取った。
それなのに、パリのシャルルドゴール空港では、一言も話すことはできなかった。
さて、フランス革命を祝うパリ祭は、7月14日であるが、毎年、アメリカの独立記念日の4日と、どっちかどっちかわからなくなる。確かアメリカに自由の女神を送ったのはフランスだなあとか、余計なことばかり思い出す。
余談ではあるが、戦前の大日本帝国陸軍の軍歌「抜刀隊」のちの「陸軍分列行進曲」を、作曲したのは、フランス人のシャルル、ルルーである。
この日は、王様のために働き、僧侶や貴族の特権階級だけが国家から恩恵を受けていたことに怒った国民が、王様のクビを切って国民が主人公となる国を作っただけの日ではない。
一人ひとりの人権を認め大切にすることに人々が気付き、神や権力者と生きる契約を結ぶのではないことを明らかにした記念日である。