アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

ディズニーランド物語2

アメリカのディズニーランドはカリフォルニアとフロリダの二箇所にある。

 

ずいぶん大人になっても、仕事に没頭していたため、いつしか、カリフォルニアのディズニーランドのことを忘れていた。すでに東京ディズニーランドもできていたが、ウォルトの夢の街が、日本にあるわけがないと、あまり興味が持てなかった。

しかし、訳あって(長くなるので中略)ついに、アメリカ西海岸を訪れることになった。25日間。しかも、ブラジルから来た日系二世の大学教授の通訳付きである。おかげで仕事は、素晴らしく順調にすすみ、資料も視察も10日ほどで終わってしまった。その後、会議の都合でサンフランシスコから、ロスアンゼルスに移動したが、肝心の通訳の先生は、学会か何かの用事で突然ブラジルに帰ってしまった。日本からの、視察団本体は、まだ1週間近く来ない。その間、何とか生き延びることと、アメリカに関して研鑽を積む事を目標に、街に出ることにした。何か、調べ物をと考えたのが、ディズニーランドである。アナハイムの安いホテルに宿泊し、ディズニーランドに日参した。

 

ずいぶん前のことなので、詳細はあまり覚えていないが、一つ一つ尋ねられると蘇ってくる。

午前中は、雑用やリポートの整理をし、子どもの時夢にまで見たディズニーランドに、昼からシャトルバスで乗り付ける毎日を送った。

 

初めてパレードを見たときは、感激して涙が出た。観客はみんな外国人。その人たちの喜びようは、すごい。その中で、1人でいることは、いわばアメリカ人ばかりのジャグジーに、1人チョンマゲをしてふんどしで浸かっているみたいなものであった。

 

マッターホルンボブスレーに並んでいるとき、前にいた小学一年生ぐらいの子供が、突然話しかけてきた。何か間違ったのだろうかとあわてたが、何度も同じ事を言うので、しっかり聞いてみた。

「今日はお父さんとお母さんとで来たのだけれど、2人とも食事の後はゆっくりしたいと1人で遊んでおいでと言われた。このアトラクションは、大人と一緒でないと乗れないので、一緒に乗って」と、言うのである。

順番が来ていたので、あまり考えず「いいよ」と言ってしまった。

乗り口のキャストに、ファミリー?と問われたが、こちらが言う前に、その男の子は、「イエス」と、答えた。すんなりと乗る事ができた。男の子は、白い肌に金髪。

 すると、キャストは、ニコニコ笑いながら「OK」乗せてくれた。

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もしも、金髪少年に何かあたら大変だと、後ろから、きちんと座れだとか、よそ見するなとか、声をかけたが、あまり効き目がなかった。終わると、「サンキュー」と言って、走って立ち去ってしまった。

 

人気のインディー・ジョーンズのアトラクションは、シングルライドなので、乗り放題状態であった。12人乗りのジープがどこでまがるとか、どこで矢のような風が吹いてくるのかは、しっかり覚え、それなりのリアクションができるようになって来た。何度目かの時、いつもと同じように、シングルのラインに並び、どんどん行列を追い抜いていった。

4、5人待った後、キャストに「ワン?」と尋ねられ、いよいよ乗車となった。3列目の1番左。ジープといっても、簡単に言えばジェットコースターなのである。1番前も怖いけれど。1番後ろも結構根性がいる。それも、1番端。もう、出発準備完了というところに呼ばれたのだ。しかし、座れない。隣の女性の脚もお尻もはみ出して来ていたのだ。3人ともすっごくふくよかで、もう最後列は3人でいっぱいではないか。もう、朝の通勤ラッシュでの、押し屋のアルバイト青年がいないとおさまらない状況にあった。それなのに、左足が入りきらないのに、安全ベルトが金具に止ったとたん、車は動き始めた。隣の3人は、もうテンション全開。ワーワー、キャーキャー、騒ぎっぱなし。もうこちらは、遠心力で3人のお姉様方の尋常じゃない体重が一気にかかり、足どころか、体までもはみ出し、このままでは残念な結果を招くかもしれないと心配になった。それでも、お姉様方のテンションは、下がらない。それどころか、こちらが体制を整えている最中にもかかわらず、盛んにギャーギャーと、最高だ!信じられない!とわめき、同意を求めてくる。それはそうなのだけれどこちらは、たった一つの自分の命を守るために、体がジープから落ちないように奮闘している。まさに、映画のインディー・ジョーンズと同じである。

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ようやく、アトラクションが終わり、ジープから降りるや否や、隣の席の半分座席を占領していた女性が、 背中をどんどん叩いて来て、どうだい良かっただろうと聞いてくる。そうすごくよかったと、感謝の言葉を伝えた。3人が肩を並べて帰る様子を見て、よくあの座席に収まっていたものだと感心した。同時に、それなりに後1人乗るために、我慢してくれていたのだなあと、気づいた。

 

今となっては、懐かしい楽しい思い出である。

 

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