アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

京都でアロハ

涼しい朝を迎え、今日こそ18切符のお出ましである。いざ出発という時に、一階の母の台所で、コックローチ発見。すでに薬で死んでいたものの、洗い物や片づけで、たくさん時間を使ってしまった。今年度夏の18切符の締めくくりとして遠方に行きたかったのだが、そんなこんなで、10時過ぎに乗車となってしまった。

 

こうなれば、大阪あたりでの、新快速の混み具合で決める。空いていて京都方面に座れるならそのまま東進。満員なら南の和歌山方面か、尼崎経由の篠山方面。日曜日なので、世間の流れに逆らわぬよう生きて行かねばならない。そうだ、あの、河島英五さんの教えのように、目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、朴訥と生きて行くのだ。

 

とにかく京都でひっそり、デュークエーセスの、京都 嵐山 大覚寺、恋に疲れた女が、塩沢がすりに名古屋帯、 耳をすませば滝の音---のように、つかの間の秋の先取りを味わう1日と決めて、京都駅で何が何でも下車した。

 

駅ビルの10階の拉麺小路を目指した。京都が、まだ夏の風情であれば、奈良線に乗って奈良方面に向かう覚悟もできていたし、あまり暑いと、浜大津で琵琶湖に足をつけるという、非常事態宣言も勘案していた。そのため、できるだけ早く昼を済ませ、午後からの隠密行動の仔細を決めなければならない。そのため、京のおばんざいも、懐石料理も我慢して、手っ取り早いラーメンに決めた。

前回11階と間違えてしまった、拉麺小路を目指した。1番すきなのは熊本ラーメン、次は尾道ラーメン、3番目は喜多方ラーメンである。この順位は、気温や湿度などの気象条件と、前日何を食べたかという個人条件により、大きく入れ替わるのだが。ようやく拉麺小路を探し当て、喜多方ラーメンの店に入った。隣の京都ラーメンの店は20人待ちであったが、すぐに座れた。ラーメン素人の人に言っておくが、行列ができていればうまいというのは、多くの場合当たらない。食べ物は、気象条件と個人条件とで、求めるものが変わってくる。無理に人に合わせること自体、ダメである。

 

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喜多方ラーメンは、スープは醤油味の透明な醤油味の豚骨スープで、あっさりしている。麺は平打ち熟成多加水麺で独特の縮れがあり、食感は柔らかい。具はチャーシュー、白ねぎ、メンマ、なるとである。

 入った店の名前は「坂内」(ばんない)である。ネギラーメンの大盛りを頼んだ。席の前には、がんばろう福島のロゴが。そうだそうなんだ。頑張って欲しい。福島は、今も大変だから、とにかくなんとかしてあげたい。

 

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明治のはじめ、吉田松陰に極端なインチキ革命思想を吹き込まれたアホの長州人に目の敵にされ、徹底的に虐殺され、それ以降も随分国政からは遠ざけられ、学問か軍人でしか身を立てられないのが会津であった。今でも長州人は、人を敵味方に区別してしまう幼稚で単純な人が多い。

そんな不公平な状況の中から、野口英世がでてきた。加藤茶も、西田敏行も、えい梅沢富美男も、あのディーンフジオカも。

 

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話は変わるが、戦後の国立大学でも、戦前の木造校舎を、なかなか立て替えてもらえなかったのも、和歌山大学福島大学である。前者は徳川御三家として明治新政府にとことんたてついてきたこと、後者は、明治以来の確執があるのではないかと言われている。なんだかんだ言っても我が国は、付け届けの効く、こね社会である。優秀な人が社会を変える民主主義国家ではない。

 

ラーメン一杯からとんでもないところまでいってしまった。

坂内ラーメンは、スープは上品で、平打ち麺は 、決して出しゃばらない。優しい油抜きの尾道ラーメンである。しかし、突如として店内に、坂内ラーメンの歌が流れた。チャーシューばんないとチャーシューこぼしの言葉が何度も繰り返される。初めは復興ソングかと思っていると、どうやらおみせのうたであった。味覚も視覚も聴覚も満点であった。

 

早めの腹ごしらえができ、外に出るなりたくさんの人が階段ベンチに座っていた。12時から野外ステージで、フラの発表会があるというのだ。お腹もいっぱいになったことだし、しばらく見ていこうと、12時の開会を待った。

1分もしないうちに始まった。ハワイアンの演奏はプロのミュージシャンであるが、踊り手は、京都市のフラ教室に通う生徒さんである。生徒さんと言っても、もう十分すぎるぐらいの生徒さんで、年配の人も多い。みんな、買い物では着ないだろうなあと思うほどの派手な衣装で頑張っている。手の動きがゆっくりであるのと、足腰の動きがシャープであることから、しなやかさが求められる。決して若さや力強さが上に行くものではない。手の表現が身のこなしによって何倍にも強くなって伝わってくる。

 

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これは、日本の盆踊りも似たところがある。手足の運びになんとも言えない艶がある人がいる。次の仕草に移るそのときに、その人の味が出るのである。美しい動きには無駄はまったくない。

 また、始終にこやかに微笑んでおくのも、健康に良さそうである。

今日は5時まで73組。なんと、昨日も、69組が演じた。すばらしい。フラメンコ同様、本場を凌ぐ踊り手が出てくるに違いない。できればバンドを組んでハワイアンを歌ってみたい。

 

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