党幹部に目覚めてほしい
昔、子供の頃近所に、小太りの1人のおばさんがいた。家は牛乳屋をしていた。
その家は、森永の牛乳を販売していて、明治の牛乳が好きな両親は、そこからは買ってはいなかったが、時々他の商品を買いに、遣いに出されていたので、おばさんはよく知っていた。
その家は、某宗教団体に属していて、選挙のたびに、ひつこく投票を呼びかけるものだから、近所では好感をもたれてはいなかった。
おばさんは、どういうわけか、私には優しく、朝の登校時や、夕方の下校時には、必ず店の前に立ち、挨拶をしてくれていた。それが、当時のわたしにとっては、すごく恥ずかしく、面倒臭いことであった。
中学校入学では、万年筆を、高校入学では腕時計を下さった。高校のお祝いには蒲鉾屋さんにお祝い返しをお願いし、お礼を言いに行ったことを覚えている。
地方の大学に入学し、町を離れる時には、お祝いとして、結構な金額を渡して下さった。
やがて、地元に帰り、勤め始めた頃、そのおばさんはなくなった。お葬式の日に、その息子が何かと呼びに来るので行ってみると、わたしのお膳が設けてあった。今までのおばさんの思いが一度に押し寄せてきて、泣いた。
停電時には、大勢の信者が集まり、自動車のヘッドライトで、室内を照らしていたり、建て替えの時は手伝いをしていたので、かなり偉い人であったらしい。しかし、わたしには、優しいおばさんであった。
一度、家に上がって話をしたことがある。入信の動機というか、今までの生き方について少しだけ話をした。
そこで、貧しかったけど、これからは、平和で幸せに生きたいということが、語られた。そういうことに尽力できる人になるようにも諭された。
さて、今の与党に組みしている状況を、天国のおばさんは、喜んで見ているのだろうか。
もう一度考えてほしい。