アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

冬巡業などやめっちまえ

モンゴルに押し切られ、貴乃花を切り捨てた相撲協会は、いよいよ金儲け、八百長、お気軽路線を歩むことになった。

 

モンゴル人は、品格や精神的な努力をすることなく、相撲ドリームというほどの、金目当てである。日本へ行き、勝てば、給料が上がり、それで自分だけでなく、親類一同の生活の安定や、あわや、モンゴルの政治にまで口を挟むことができるようになる。

 

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モンゴル人は、もともと騎馬民族で、協力したり、譲ったりする習慣の少ない文化のもとで育っている。勝負一筋、なんとかして勝てばよい。そんなムードを持つ者と、肌を合わせ、相撲を取らねばならない。

 

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どうして、貴乃花の言う相撲道なのか。それは、究極まで裸に近い風体で、体をぶつかり合わせるからだ。そこには、卑怯も、騙しもありえない。しかも、神の前で奉納する意味がある。それならば、八百長など、もってのほかである。今、貴乃花落としに躍起になっていた親方は、みな、八百長経験者であろう。週刊誌で度々取り上げられた人もいるし、素人ながら、あなたがその地位に居られるのはおかしいという親方もいる。

このような、ずるい、おかしな人事は、とても日本的で、言い換えれば、伝統的なものでもある。

農耕民族は、横並びの集団として、協力、謙虚を旨として、勝負は二の次であった。だから、同じ仕事をしながら大して仕事の業績など寸分違わない公務員など、昇格は、未だ上司への付け届けや奉公、忠誠心である。だから、組織自体改革もできなければ、新たな施策も打ち出せずにいるのである。自民は、それでいいという、従来型、安定を求める雇用者の考え方であり、ごちゃごちゃいうなと、国民の心配や心情を踏みにじり、現状維持に固執する相撲協会と同じである。

 

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こんなにも、国民の疑惑を煽り、国民に不愉快な思いをさせた責任は重い。これは、あの加計学園の問題や、森友事件にもつながる要素がある。それは、疑惑がわんさかあるのに、自分たちだけで、勝手に納得して、解決したと思い込んでいるということである。だからこそ、今はおとなしくして、今の問題の、本質を議論し、疑惑を晴らし、相撲協会を解体すべきである。

 

今、なかなか日本人は、力士を目指さない。昔に比べ、たくさん自分の力を試すことが出来るスポーツがあり、指導者も大勢いる。少子化が進み子どもがいない。それに加えて、世の中の道徳観が、かなり崩れ、正々堂々、勧善懲悪などの言葉は、古典辞書だけの世界になりそうである。かろうじて、戦いに勝ってもガッツポーズをしないのは、弓道と剣道でしかない。相撲は、モンゴル人の連中が、密かにガッツポーズをしている。

 

外国人が入って、それで、その連中のやりやすいように変化させていくなら、もう国技と呼ばず、また、NHKの中継もやめればいい。

 

学校にも洋式トイレが導入され、生活様式がどんどん洋風化する中で、地べたに座り、立ち上がる習慣がなくなりつつある中、相撲やジャンプは、どうなっていくのであろうか?