アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

年賀状まだ

まだ年賀状が出来ていない。

毎年、年賀状作りの好きな子どもに、任せていた。愛犬りょうに被り物をさせたり、画像を加工したりしながら、面白いハガキを作っていた。

しかし、今年は子どもがいない。1月の中頃に帰るという。それでは間に合わないではないか。むこうで作って送ってとお願いしても、仕事が忙しいという。やれやれである。

 

年賀状は、小学校や中学校では、クラス全員に出していた。

5年生の時、版画で年賀状を作るのを教わった。初めて図工の専科の先生に教わり、その卓越した技術にはまってしまった。

わずかの数しか刷らないのに、きちんと、台形にして、刷り面を残すとか、黒と白のバランスが大事だとか、初めて知ることばかりであった

 

6年生では、木版画で、多色刷りに挑戦した。カーボン紙を使って、結構分厚いハガキ大の板に、両面絵を移していく。

それを確か、3枚。6色刷りだった。

切り出しで、線の少し外側を切り、逆に、切り込みを入れて、V字の谷を作る。こうして残す部分を作り、その外側を丸刀で、ガリガリ削り取っていく。最後に平刀や三角刀で整えていく。

今思えば、小学生なのに、浮世絵の絵師、彫り師、刷り師の三役を学んでいたのだ。

昔の、小中学校では、そういうことがよくあった。今では、誰か堪能な人を呼んできて、お願いしますと、丸投げで、安直なことをしているが、昔の先生は、自分で何でもできる先生が多かった。

 

そうして学んだ、多色刷りにはまり、年賀状は、高校入試の年も、大学入試の時も続けた。今となっては、どうして一枚ずつでも残さなかったのだろうか、と悔やむほどだ。

高校では、部活をして、宿題をして、板を彫ってという、忙しさに一度はやめかけたが、「いつも楽しみにしています」の声に浮かれてしまい、ついにやめなかった。

 

年賀状どうしよう。業者に出すなんて嫌だし、愛犬りょう入りの年賀状でないとダメなのだ。ちょうど戌年。何とかならないかなあ?りょうちゃん。

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