アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

センター試験に思う 1

今日は、大学入試センター試験

この制度が始まって、大学はずいぶん楽になったし、合否を予想する受験産業は、それ以上に安直になった。

 

この国は、その当事者に対しての施策ではなく、それを取り巻く、関係者に対しての施策がめだつ。

この大学入試も、受験問題を作れないポンコツ教授ばかりの大学や、誤答や多答、しいては採点ミスを平気でしてしまう大学にとっては、それなりに便利で、ある意味合理的であったであろう。

しかし、これによって大学の格差がつき、以前より、偏差値が重視され、社会的に幅を効かせるようになって来た。

本当に、アホな話なのだが、今まで以上に、東大や京大がちやほやされ、それゆえのクイズ番組だらけである。クイズしかできない、何の面白みもない芸人や、東大生なのに美人という、二物を与えられてしまった女性陣が、学歴という、怪しい武器をもって、テレビの画面に現れる。

これって正しいのだろうか。人間は学歴だと、暗にマスコミが操作しているだけではないか。

私立の早稲田や慶應には、さまざまな入試制度が存在する。特に、早稲田は、まともに入学試験を受けて入学する(当たり前だが)学生は、3割に満たないという。推薦、AO入試、スポーツ下駄履かせ、有名人、付属校など。あらゆる方法で学生を確保して来た。そこで、偏差値マジックも生まれる。少ない定員にたくさんの学生が受験する。また、受験科目を減らして、たくさんの学生が受験する。そうしながら、偏差値を上げていく。受験教科は、たった2科目でも構わないのだ。

また、企業は、大学名だけで採用し、学生の質は落ちたと不満を言う。実際そういう受験なのだから、大したことはないはずなのに、過度に期待したふりをする。英語と国語以外は全く知識がないというのがわかっているのに、知識不足と不満を漏らす。

学生は学生で大学を出たのだから、それなりの企業に就職できると踏ん反り返り、のこのこ、その程度の知識量でクイズ番組に登場してくる。

こうして、もはや大したことがないのに、私立大の雄として、大きな顔をするのである。

この話は、海老原嗣生さんの『学歴の耐えられない軽さ』にも書かれている。

 

こんな入試なのに、まじめに勉強して来た学生は、ほぼ客として招かれ、偽りのバトラーとして、挑戦させられる。

言っておくが、その取り巻きの受験産業の雄が、岡山にあり、あの、加計学園と同郷なのである。そうして、役に立たない全国学力テストや、各地の教育委員会が主催する各種テストやテキスト作りにも参入し、子どもにまつわる、知識量をはかることに関わり、結局は捻じ曲げているのである。やっぱり、お友達か?

知識偏重の社会を続け、学歴偏重を変えることなく、入試を続けさせて儲けたい。という願いの元、ゆとりを批判し、本当の学力を伸ばそうとした教師を、批判し続けたのである。

こんな受験産業が、関わっているシステムではないもの、つまり、各大学で入試をした方が、絶対にまともな学生や郷土愛に長けた学生を、集めることができる。

 

わたしの学生時代は、ゼミは7人であった。私立大のゼミは35人だという。

こんなことを、頭に入れて、考えていかないと、お馬鹿ばかりになり、社会は完全に硬直化、右傾化していく。