やかましいなあ、街宣車
日曜日の朝の静寂を破るのは、街宣車の軍歌である。この4、5年、どういうわけか、事あるごとに現れる。祭日は、仕事も休みなのか、街宣車は必ず登場する。
国民生活に、油断を与えぬよう、左翼思想にかまけぬよう、気合いを入れに登場する。集会には、国旗を立て、これまた旭日旗をなびかせ、これは大日本帝国の生き残りかと見間違えそうなぐらい、軍事色華やかなりである。
今朝は3台、5分ごとに駆け抜けて行った。
あの人たちは、動員がある。
日教組や全教の教職員組合の大会や、教育研究集会には、全国各地から街宣車の動員がかかる。罵詈雑言を浴びせたおし、間違ったことを自分本位に並び立てるには、既成政党の街宣車では都合が悪く、それ以上に、政党の本質を見せてしまうことになる。そこで、資金を与えて、それこそ黒い街宣車を動員して、国民に恫喝を加える。
これは、警察があるのに、なかなか、暴力団がなくならないことからもわかる。存在が悪であっても、国民生活に緊張感を与えるのだと、勝手に考えているのである。兵庫県警など、どうして給料もらっているのか、わからない。知事も、そんな危ないことに口出しもせず、暴力団撲滅の公約を聞いたことがない。
まだ、社会党や民社党があった頃は、街宣車の後に、公安の車がついて走っていた。今は、どんなにボリュームを上げようとも、何を口走ろうとも、のほーずである。警察と暴力団の関係に似ている。
街宣車の連中は、不勉強である。すぐに、左翼めと、言いがかりをつける。神戸で、全国教研集会では、日教組が推薦していない政党名を連呼し、勉強不足を多くの市民に笑われた。まあ、学校教育に馴染まなかった連中であろう。
山形では、街宣車が日教組を連呼するので、小学生が、日教組は怖い。運転しているおじさんも怖い。と勘違いした話は有名である。
まあ、どうでもいいから、うるさいことや、青少年が聞くと、いやな気持ちになるようなことを連呼しないでほしい。110番すると、必ずパトカーが出場するが、その手を使うしかない。みんながすると、本質を考えるかもしれないし、援助している政党にも、プレッシャーが与えられるかもしれない。
そういえば、戦争に新兵で2週間行った父が、生前、本当に戦争に行くということなど、できないくせに、格好ばかり真似てと、ずいぶん怒っていたのを思い出す。
あの人たちは、いつどこでああなったのかわからないが、街宣車が通るたびに、子どもには、しっかりと歴史を教えておこうと感じるのである。正確に教えないと、おそらく、歴史は繰り返される。