首相案件と総理のご意向
上司は、部下よりたくさんの給料をもらっている。それは、責任の重さであり、部下の至らないところは、上司の責任である。
森友学園の話は、籠池理事長夫妻の口を封じ、理財局や財務省の、責任にしておけば、「総理のご意向」という言葉は、歴史の闇に葬られる話であった。
しかし、加計学園には、世の中の、ほとんどの人が、卑怯とまで感じているように、何かがあるのである。岡山理大はもとより、全国学力調査の闇の製作会社ベネッセ、と教育の分野で特例として扱われていることへの不信感は並大抵のものではない。どれだけ国民の税金を導入するのだろうと、いう他に、いったい本当のことを、誰が話すのだろうということである。
昨日、ついに、愛媛県知事が、首相秘書官とのやりとりを公表し、「首相案件」の言葉で事実上の首相の圧力がかかっている旨を訴えた。
首相は、もちろん否定したが、そんな首相の言葉を信じる人がいるだろうか。
加計学園の獣医学部が開部してからとはいえ、愛媛県にしては、あえて不都合な記録を紹介したのである。
中村愛媛県知事は、「地方の真面目な職員が必死でメモをしたものだ」と、言い放った。実に部下思いだ。このはなしは、安倍内閣に決定的な退場命令を与えた。
部下に責任を押し付け口封じをする上司と、部下のことを誇りに思い信じる上司との違いでもある。