アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

小学生の言葉遣いも、はてな?

昼過ぎになると、下校中の小学生に出会う。

赤や黄色の名札をつけた一年生は、特に今、お試し時間か何かで、けっこう早い時間に帰っている。大人が付いているのは、先生であろうが、でも、とうの昔に退職したような人もいたり、明らかに先生ではないだろうという人もいる。

時代は変わった。

地域の児童館や、子ども用のデイケアセンターなど、街中にはいろいろな施設がある。

 

しかし、なぜか、オレオレの大合唱だ。子どもの言葉遣いは、昔から気にはしていたが、男の子の一人称の「僕」は、「俺」に押され気味である。どうしてだろう。

 

何年か前からテレビで、司会者や芸人がその「俺」を平気で使い始めた。テレビに出て慣れてしまっているのか、舐めているのか、フォーマルな言葉遣いが消え失せ、偉そうな、時には上から目線の、「俺様」ごとき生意気さで画面に登場する。社会人になったとき、人前では、男であっても「わたし」または、「わたくし」でなければ、未熟だと教えられ、みんな守っていた。

俺なんか言っていたのは、ジャイアンぐらいのものであり、ネクタイには似合わなかった。しかし、今は、ガラの悪い大臣まで、俺はを連発する。もう、オレオレ詐欺まがいの、スペイン人の攻撃が始まったのかと、見間違えそうな勢いである。

それは、あっという間に賞賛の言葉となった「ヤバい」ほどのことはないが、かなりの勢いが感じられる。

叔母が、「僕」という言葉は、下僕など、自虐的な言葉なので使ってはいけないのだと、話していたことがある。それは、「わたし」という言葉で話すことができる、大人の話だと思っていた。

 

夕方、関西の情報番組を見ていたら、オレオレの連発であった。テレビ局には、放送コードというものはないのだろうか。人権に厳しい毎日放送に、そのあたり奮起してもらいたい。

 

俺の向こうにはお前がある。

こんな感じで授業がすすんでいるとしたら、ちょっとごめんである。