付け届けって当たり前やん
全剣連居合道の昇段審査で金線授受があったとまたマスコミが騒いでいる。
まあ、何でも騒ぎやがる。
自分ならそうしないというおごりと、失敗したり、尻尾を出したりした人には厳しい。
政治関係のことは絶対に不問だが。
お中元やお歳暮があり、普段から何かあれば不必要なプレゼントを渡し、よろしくとやっているのが日本である。そのよろしくは、特別の配慮をお願いする意味であり、中元や歳暮を送らなかった他の人とは違う扱いをされるということである。
特別の世話になりたいときに使うのである。
日本人は、実力主義でやると、ギクシャクするから、やんわりと、気持ちで勝負してきた社会である。
神戸で教員をしていた友だちも、管理職試験は、ハッタリだという。合格者は決まっている。試験会場で書かされる論文は、試験結果を糾弾されるのを防ぐ手段である。神戸の校長を調べてみればわかるが、体育畑ばかりである。教員養成大ではなく、なり行き任せの、出身者だ。外道だ。
もともと戦後も学校は大日本帝国の統治の真似をしてきた。礼をさせ、行進をする。規律や服従を第一義とし、子どもの思いや人権など、おかまい無しであった。
わたしも、小・中学生の時は、よく殴られた。そんな、怖い管理職がわんさかいるのが、神戸であるらしい。
それをバカながら代表する教育委員会は、さらに、談合に談合を重ね、お友達委員会である。近畿でも最低の大学を出ても、お偉いさんになれる。体育だから。
親分子分の付け届けの社会なのだ。
どんな社会でも、うまくやる奴はいる。お金を渡すなんて、日本では当たり前のことなのだ。
芸能界では仕事のために体を売るし、金で医者にもなれる。人格や仕事の出来で人を雇ってこなかった歴史があるのに、今更綺麗事を言ってはいけない。間違いなく、ここは付け届けの国の日本である。
ただ、柔道とは違い、武道の道を捨てなかった剣道の団体が、案の定の世界にいたとは、少し残念である。華道や茶道など、もっといろいろあるだろう。公務員の世界など、腐る程ある。
それでも、マスコミはいちいち報道するのであろうか?