お節介な先輩になろう
少し涼しくなり、夜はクーラーがいらなくなってきた。昼間は、まだ、蒸し蒸しするが、夜は冷えるようになってきた。
北海道など、最低気温が一桁のところがたくさん出てきた。
さて、昨日は涼しさのあまり、元町の居酒屋さんで、おでんを食べた。市役所に勤めている友だちと、学校の先生をしている友だち、そして、どういうわけか、皮膚科の医者をしている友だちが集まった。わたしのように、もの書きを夢見て大学でウロウロしている自由人はいない。みんな、きちんと、向かい合うものがあり、それなりの目標がある。
何より、後輩がいて、残すものがある。
それがあれば、どれだけ楽か。張り合いも違うであろう。
3人には同じ悩みがある。その残すもののことである。3人はもう、組織の中で先輩なのである。皮膚科の先生も、病院という枠の中ではせんぱいなのである。
若い子に何を言えばいいのかわからない。逆に若い子も、何を聞けばいいのかわからない。
とにかく、どう言ってやればいいのかがわからないという。どちらかといえば、先輩の方が、若者言葉を習い、ヤバッとか、なんとか言っている。
こんな調子では、やがて日本語の文化は廃る。
でも、後輩との蜜月を祈念しつつ、お節介なことは言わなかった。
社会の矛盾に気づかず、戦わず、そして流行に流されて行く。
やはり、友だちだけはお節介な先輩でいてほしい。そして、厄介な後輩を、ビシバシ、パワハラだと言われつつも、うまくしごいてほしい。嘘、偽り、談合、口裏が通らない、公明正大な社会になってほしい。そういう目的論が構築されなければ、きっと、次のような言葉が生まれる。
無視ハラ。何も言わない、何も教えない、ハラスメント。
わたしとあなたは違うと、開き直る、知らぬ存ぜぬハラ。略してシソンハラ。
いやいや、こんなどころではない、まだまだ、ハラスメントは、拡大する。
鼻の穴が大きいわかどうか論じられる鼻ハラ、
耳はなかなか聴きとりにくいゆえに、高音ハラ(高周波数ハラ)など登場するかもしれない。
そんなことを考えながら、ニヤニヤして、友だちの会話を聞いていたのである。