アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

本当の津浪まつり

今日は、津波の災害を語り継ぎ、防災意識を高めるために、第70回国連総会で決定された、11月5日を「世界津波の日」の日である。

この日の趣旨として、11月5日の制定のほか、早期警報,伝統的知識の活用,「より良い復興」を通じた災害への備えと迅速な情報共有の重要性を認識することや、すべての加盟国,組織,個人に対して,津波に関する意識を向上するために,適切な方法で,世界津波の日を遵守することを要請することを決定した。

2015年のことである。

 

11月5日という日は、安政元年(1854年)11月5日に和歌山県で起きた大津波の際に,半年を出身の広村で過ごしていた、千葉の醤油屋、濱口梧陵が、強い地震の揺れを感じて津波を予想し、高台の八幡神社に村人を誘導しようと、本当は、村中を駆け回り避難を呼びかけ、それでもなかなか避難しない村人に急を告げるために、八幡神社までにあった、稲を刈った後の、藁束に火をつけて暗くなりかけた道を照らしたという。

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それを、火事だと思った村人は、八幡神社まで駆けつけ、津波の災難から免れたという。他の村は、6割から7割の村人がなくなったのにもかかわらず、広村は、数人がなくなっただけで、大半の命が救われた。

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この話を聞いた、小泉八雲が、ここまでの話を、醤油屋を庄屋にし、浜口梧陵の年齢を37歳ぐらいであったのを老人にし、しかも、まだ脱穀する前の稲村として場面設定をし、生神として紹介した。英語で書かれた作品を、明治以降翻訳して紹介されたのが、稲むらの火であるが、浜口梧陵の凄さはそれではない。そこまででも、表彰ものではあるが、土地が海水で台無しになった村人に炊き出しをし、大量の農具を購入し村人に貸し出し、船を与え、鋸を渡し、家を建て、村の復興と人々の生活の支援を行ったのである。

本業の、醤油屋での売り上げ金を広村に送り、生活の支援を続けた。しかし、先のわからない避難生活に疲れた村人の何人かは、村を捨てて出ていくようになる。

村人の拡散による村の消滅を恐れた浜口梧陵は、海岸に堤防を作ろうとする。

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全長600メートル、幅20メートル、高さ5メートルの世界初でもちろん世界最大の堤防であった。まだ、堤防という概念のない時代、浜口梧陵は、この堤防工事に参加するすべての村人に日当を払い、生活の支援を続けた。ただ、避難するのではなく、自分で生活の糧を得る、仕事を与えたのである。子どもも、老人も、障がい者も、女性も、みんなに日当を払い、堤防工事を続けた。

安政の大地震で、江戸の工場を失うが、千葉の工場では、ふるさと広村の村民を救うことを粋に感じ、醤油づくりに邁進した。

結局、数億円を援助し、堤防を完成させた。

60歳で、ニューヨークに学びに行き、客死する。

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初代和歌山県議会議長をし、和歌山県庁にも銅像がある。それ以上に、浜口梧陵は、日本の郵便制度を整え、前島密に受け継いだり、東大医学部の前身を支援したり、故郷に耐久社(のちの耐久高校)を建てたりした。

人のためには、金を惜しまない人であった。

浜口梧陵の葬儀には、4000人の村で、6000人もの人が来て別れを惜しんだという。

スーパーマンであるが、浜口梧陵は、7代目ヤマサ醤油の当主であった。実在した。

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ちなみに、ドラマ仁の第7話に、ペニシリン醸造する醤油屋の旦那として登場している。

 

その津波が起こったのが、11月5日であるのだ。

この日は、津波の悲劇や、教訓を忘れないために津浪祭りが行われる。地元住民や広小学校児童、耐久中学校生徒によって、堤防への「土盛り」が行われる。「土盛り」とは、本来は村の衆が堤防の補修を目的に新たな土を堤防に入れて堤防を補修していた。現在は前日に学校の校庭等から土を持ってきておいて、当日の朝、堤防に土をかける形式的なものとなっているらしい。

式典は、広八幡神社宮司による神事が行われ、続いて祭主である町長が会場向かいにある感恩碑に献花するとともに、一同拝礼する。その後、祭主、来賓者のあいさつ、電報などの披露をして終わる。

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そういう、由緒正しい、すごい祭りなのに、放送局は、稲むらの火の祭りだと報じている。浜口梧陵のしたことは、単に津波避難だけではなく、人々の生活を救った事であることを、読者の賢者の皆さんは、忘れないでいただきたい。