アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

和歌山動物王国

不要不急の外出は控えるようにと、あまり信用できない政府が言っているが、どうしてもの用事で、和歌山の貴志川に行ってきた。

 

電車は、土曜日なのに、行楽の人は少なく空いていた。流石に、和歌山駅は、近鉄百貨店もあり、少し賑わってはいたものの、やはりコロナの影響は大きい。

 

和歌山は、近畿のお荷物と言われながら、実は近畿の自然を一手に引き受け、パンダやチーターの繁殖は日本一。

言われなき人種差別集団のグリーンピースや、ただの牛肉販売エージェントのシーシェパードという馬鹿集団に、国の擁護が一切ないのに孤軍奮闘してきた、古くからの沿岸捕鯨の町、太地町

串本の南の大島の、樫野埼でのエルトゥールル号遭難では、村民の純粋すぎる救助活動が、トルコとの125年以上続く友情のきっかけを築いた。

地震津波との危険性を、自らの行動で示した、やまさ醤油の7代目、広村の濱口梧陵の勇気と村を支えた行動力は、世界津波デーとして世界の人に記憶された。

あの、南方熊楠は、  徳川吉宗は、  華岡青洲は、というふうに、数限りなく和歌山の凄さが現れてくる。

 

貴志川へは、JR和歌山駅から和歌山線に乗り換える。終点の貴志駅は、たま駅長で有名である。40年前は、駅前は何もなかったのに、駅前には家も建ち、4台ばかり停められる駐車場もあった。

 

水戸岡さんのデザインした駅舎には、たま駅長の耳が付いている。

たま電車の車内は、とても可愛い。手作り感は最高である。

座席に、たまが寝そべっていても不思議ではない。

 

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そもそも、たま駅長和歌山電鐵は、南海貴志川線であった。

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始発である和歌山駅は、南海の難波駅から和歌山市駅を経て走ってきた急行きのくにと、阪和線天王寺駅からの急行きのくにが連結し、紀勢本線きのくにへと変身する場であった。

 

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南海本線和歌山市駅からは、南海加太線が走り、海水浴場や淡嶋神社友ヶ島へと気軽な遠足に行けた。今でも営業しているので行けるが、昔は、大阪のじゃりン子チエが遊んだみさき公園駅から出ている多奈川線とつながるのではないかと期待したほど、加太のあたりは賑やかであった。

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何しろ、まだ、新日鉄住友金属和歌山製鉄所の高炉があり、火事ではないかと思うほど、夜空を真っ赤にしていた。

 

また、和歌山北港まで本線は延び、そこからの徳島と和歌山を結ぶ南海フェリーも、たくさんの利用客があった。いまも和歌山と、徳島を2時間でむすんでいる。

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それは、和歌山がまだ40年前、人口が42万人ほどがいた頃の話である。国立の和歌山大学も市内の一等地にあり、若者もたくさんいて、商店街もそれなりに賑わっていた。

しかし、やがて、都市化の波は、和歌山市を越えて県外へと向かう。

そもそも、和歌山は、県外志向の強い県である。和歌山を嫌い大阪出身と偽るばちあたりの人もいるらしい。今でこそ、世界遺産や、環境で見直されてきつつあるのにも関わらず故郷には伏し目がちな県民である。

その流れは、南海貴志川線にも訪れた。道路の整備が進むと、過疎が始まるという日本列島改造論での現象と、同じことが、おこったのである。

南海電車は、経営の立て直しを図るべく、南海ホークスを手放したが、やがて、その軸足を、関西空港線に置くことになる。

夢から忘れられた和歌山から、南海は、じわじわと、退却し始めた。

 

和歌山大学も、栄谷という中央構造線の破砕帯を挟む辺鄙な田舎に移転し、和歌山市内の学生相手の店や下宿屋は、廃業に追いやられた。その、もぬけの殻になったなれの果てが、今の和歌山市の静けさなのである。

 

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こうして和歌山の勢いはついに失われたと思われた、そんな延長戦上の貴志川線も、次第に乗客が減ってきた。ついに南海電鉄は鉄道を廃止しようとしたが、沿線の小学生が存続運動に立ち上がったという。途中駅にある、貴志川高校の生徒が、駅のゴミ拾いや、ペンキ塗りを買って出た。平成17年、和歌山電鐵として、再出発するが、それ以降の人気ぶりは明白である。

 

なぜ駅長が、猫なのか。そんなことは、わからないが、たま駅長は猫にしては実に従順で大人しく、誰に触られても不愉快な顔?は、しなかったという。

 

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それよりも、こんな田舎(失礼)に、どうして団体客をたくさん乗せた観光バスが続々と乗り付けるのか?

電車を見た人は、誰もが口を揃えて、可愛いを❤️を連発するのか?

おそらく、その匂いを嗅ぎたい。そこまで立派に、立て直した、勢いを味わいたい。人は捨てたものではない。捨てる神あれば拾う神あり。猫大好き。であろう。

もうこれで、温泉などできようものなら、勝浦、白浜に次ぐ?観光地になるかもしれない。

 

実際、たまは電鐵の代表者に、名誉永久駅長として名を連ねており、招き猫として、彦根藩主を救った白猫ひこにゃんとともに、鉄道を救った三毛猫たまとして、また永久に知られる存在となる。

大したものだ。

 

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高野山には、弘法大師を白黒2匹の和犬が案内をした。この犬種は紀州犬ということになっている。

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慈尊院には、高野山案内犬ゴンがいた。

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そして、前述の、パンダ、ちーたー。

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たま駅長の経済効果は11億円だと言われる。しかし、もっとすごいと感じているのは、わたしだけだろうか?