アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

ジャパニの国で起きていること

日本は観光立国を目指してきた。

外国人がたくさん来日するようになり、街の様子も変わってきた。

神戸の街は、もともと、開港以来外国人の多い街ではあったが、主にイギリスやアメリカなど当時の日本を支えたいわゆる西洋人であった。海岸に面した居留地に貿易会社を建て、やがて水捌けの良い山際の北野に住んだ。のちの異人館である。

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神戸には、異人館とか南京町とか、初めて聞くとギョッとする地名があるが、これは差別でも区別でもない。神戸には、言葉で差別することは恥とする文化がある。人を差別しない。これは、明治の初めに日本人と外国人が互いに隣同士で住む「雑居地」が広かったためでもあるが、神戸では、みんな何処かから来たよそ者であり、みんなこの街が故郷なのだ。

 

世界中のどこにでもいて、早くから日本に来ているインド人🇮🇳と中国人🇨🇳の他に、ベトナム人🇻🇳が1990年代にたくさん入国するようになった。

次にはタイ人🇹🇭。

そして他の東南アジアの国々らしい外国人🇮🇩🇲🇾🇱🇦🇲🇲が大挙して住むようになった。

そして今、大量にネパール人🇳🇵が日本に来ている。

 

その間、中国人🇨🇳は順調に人数を増やし、日本にいて日本で儲け、ぶくぶくと富を増やしていった。中国人旅行者の白タクをしたり、日本土産のバッタ物を高く売る観光会社を経営したりしてきた。貿易も、中国との生活水準の格差をうまく利用して、沢山儲けてきた。しかし、日本の様々な災害の間に、驚くほどの沢山の中国人工作員を潜入させることになってしまったのである。

 

2010年を迎える前から、コンビニ店員として外国人が現れた。店員の名札が中国人の漢字の一文字から、急にカタカナ表記に変わった。人手不足がいよいよ大変なこととなったのである。小泉政権が、派遣労働のスタイルを進める一方で、大企業の人件費を抑えたり、第一次産業の若手労働力の担い手として安い研修費で働かせたりするために、外国人がたくさん訪日した。

 

技術者や研究者としてだけでなく、料理人であったり農業や漁業の技術者であったりしたので、ありとあらゆるところから日本へ来ているのである。そして、日本人ならもう到底そんな低賃金では働かないというぐらいの賃金で働いているのである。

 

6月21日(日)BS1スペシャル「ジャパニ ~ネパール 出稼ぎ村の子どもたち~」の再放送があった。何度見ても考えさせられる話である。

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番組ホームページよりNHK

 

ネパールといえば、1989年の最優秀エッセイとして名高い、「ネパールのビール」で、懸命に日本人との約束を守ろうとしたネパールの清貧の少年の一途な行動に、資本主義にどっぷりつかり、バブルのつゆを呑んでいた、わたしたち日本人に誠実に生きることの尊さを改めて知らしめた国である。

 

それが、この30年で、日本に出稼ぎをして働き、あわよくば仕送りをというシステムが構築され、それによって、3世代で慎ましく生きてきた山村の生活が一変し、山村には働き手がいなくなり、年老いた両親と、幼い孫だけが残されているという状況に至っているのである。

 

働き手の父母が日本に出稼ぎに行くのは、本来は父親だけだったのだが、ネパール料理店で働く父親の給料は10万円ほど。生活ができないため、母親も日本へ来て時給1000円ほどのホテルの部屋の掃除をして夫の生活の支えをしている。いわば、低賃金ゆえの2人で一人分の収入なのである。これでは頻繁にネパールへは帰ることはできない。

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番組ホームページよりNHK

 

もう少し詳しく説明すると、その昔は30年前まで村の男はラウレというイギリスの傭兵として雇われていた。いわゆるグルカ兵である。しかし、コックとして日本に渡った1人が大成功をおさめ、我先にと日本へ渡るようになったのである。

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番組ホームページよりNHK

 

さて、山村に残してきた子どもは、私立の小学校に通う。寮生活だと、1ヶ月1万2千円。村人の月収の半額に相当する。親が日本へ出稼ぎに出ている子ども目当てに、私立の学校が建てられる。

その子どもは、「ジャパニ」と呼ばれる。

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番組ホームページよりNHK

 

両親は日本で月30万円程度の収入を得るが、家賃や生活費がかかるうえ、借金の返済などもあり、豊かな生活とはいかない。だれもが、ネパールを出国するまでに渡航費として100万円ほどの借金を背負ってきているためである。

今村に帰ろうなど誰も思わない。一度経験した文明の息吹は捨てがたい。よほどのことがない限り停電しない電気、断水しない水道、ひねれば火がつくガス、清潔なトイレ。台風や地震はあるけれど、ネパールの山村と比べると医療や教育の水準は比較にならないぐらい高い。

 

だから、親たちは村に残してきた子どもを日本へ呼び寄せようとする。そうなれば、祖父母は2人きりで村に残ることになるのだ。育てた子どもたちが次々と日本へと移住し、残念ながらそこでも決して豊かではなく、やはり唯一の生きがいは家族であるという、ネパールでの生活を、少しレベルアップしただけの生活を送るだけなのである。

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番組ホームページよりNHK

 

人口減少に伴い、もう、ホテルの部屋掃除などほとんどを外国人労働者が担っている我が国が、偉そうに観光立国を高らかに謳っていいものだろうかと、改めて考えさせられた。

 

今の日本は、多くのアジアの人々の生活を破壊し、犠牲にして成り立っていると考えてもいいのである。そう思うと、日本はアジアの国々に戦争の時と同様に、多くの苦しみを与えてしまっていると考えないといけない。

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番組ホームページよりNHK