ポイ捨ての脅威
家の前に、ペットボトルのお茶が捨ててあった。空のボトルならまだすてやすいが、中身がいくらばかりが残っている。
こんな捨て方する人もいるのだ。どんな気持ちなんだろう。と不思議になるが、こういう物の片付けは、みんなその家の人がやることになっている。
そうであるならば、不都合なことをする人の処罰は、その被害を被った人がやればいい。日本の裁判所と水道工事なんて、もうポンコツ、騙し疑惑の仕事しかしていない。それならば、報復はもう庶民の手に委ねるべきだ。
いつも月曜日と木曜日は、朝に地域のゴミ拾いをしている。いいことをするときは、誰かに知れてはいけない。これは我が家のモットウであるが、朝起きが苦手な私は、仕事から帰宅後のそのそのとでかけるのである。30ℓの持ち手付きのゴミ袋とアルミ製のゴミバサミを携え、近所の道に落ちている、ありとあらゆるゴミを拾いまくる。
今週の月曜日、買い物がてら、夕方に商店街の方に出かけた。商店街を少し離れた国道沿いの植え込みである。
こんな物なければいいのに、あちこち何の緩衝材かも知れないが、ほぼ管理しないまま植物が植えられ壁のように見えるものの、そこは家庭ゴミ、浮浪者の不要物の廃棄場所となっている。
30分ほど時間集めまくると、30ℓのゴミ袋が2袋になった。黄桜の酒パック、ビール缶、ジュース缶、クタクタのビニール袋、など自分で片付けんかと言う類のゴミである。
やっとのことで拾い終わり、家に持ち帰ると、その勢いで家の周りと中央分離帯の植え込みを掃除した。すると、また一袋できてしまった。
頭にくるのが、タバコのポイ捨てである。いくらでもある。タバコは吸わないからいくらだかわからないが、もう一箱2000円ぐらいにして、路上ポイ捨て監視員をやとえばいい。
道にゴミのない町は、犯罪も空き巣も少ないと聞く。誰がなんと言おうと、頑張る。
道にタバコや空き缶ペットボトルのポイ捨ては絶対にしてはいけない。人の道徳心に頼るのではなく、罪にしないと無くならない。