タコがない
ゴールデンウィーク(NHKは大型連休)に、家族で外にも行けず、テレビで旅行に行っている人たちの自慢げな話を聞いて、アホちゃうと吐き捨てながら、なんとかならないかと悶々と過ごしている。
パソナ西村大臣は、さすが搾取企業に関わっているので、いつも淡々と人間味のない風紀委員の思いつきのようなことをぐだぐだ言っている。
昨日は、マスクをしていても感染する。今日は、お金を受け取ったら手洗いをする。ということが、知らされた。
もう、東京オリンピックのための我慢であることや、それまでは日本国民としては一億総火の玉になって感染者を増やしてはいけないのである。ワクチンもなく、病院にベットもないのに、医療関係者は、とにかくオリンピックは、特別にお国のために尽くすのだと、さかんに広報している。
感染はもう有事ではあるものの、それよりオリンピックなど、やっている場合かと国民に指摘されないように、平静を装いつつも、結局なんにもしていないのである。
そもそも、貴族や高級国民の楽しみであるオリンピックは、国威発揚の意義があったものの、もう、そういう国家第一主義は否定されつつある。国の名誉ではなく、人としてさらには人類としての可能性を競う方向にベクトルが向いている。日本政府は、オリンピックを機会として国粋主義を助長させようと目論んでいるものの、もうその考え方は古いのである。
そういうもののために、日本国民は我慢をさせられている。与党だけでなく、野党のふりをしている維新なども、オリンピックにまっしぐらだ。やはり、全体主義を目指す仲間なのであろう。
オリンピックのために死す、という戯曲でも書いてやろうかと思うが、いつどんな状態になれば諦めるのであろう。逆に言えば、どのくらいの感染状況で大丈夫だというのであろう。
ワクチンは、もう間に合わない。
神戸市でも、小中学生にまで感染が広がってきた。これからは、学校クラスターや、教師間のクラスターが増えるだろう。学校では給食もあり、休み時間にはドッチボールもするだろう。小学生はよく鼻をほじくる。目をこする。マスクをしながら、バカ話も大声でできる。
学校は、年間何時間授業をしなければならないかと、決まっているが。その時間の根拠は何もない。阪神淡路大震災の教訓として言えることは、もっと少ない時間でも勉強は成り立つということである。
誰も決められない、誰も矛盾を指摘しないという中で、車から出ないでドライブに行こうと家族と相談すると、即否定された。連休中の思い出として、家で何かできないものかと考え、家族にたこ焼きをしようと提案した。
早速、近くのスーパーに材料を買いに行った。野菜のコーナーでミツバなどをカゴに入れ、広島フェアの牡蠣醤油のキムチを見つけ、
いよいよタコを購入しようと、鮮魚コーナーに向かった。
ない。
全然タコがいない。
このところ、モーリタニアのタコが減っていた。そのため、このところ、北海たこと名付けられた水ダコが幅を利かせていた。とは言っても、僅かであるが。
きょうは、縮小されつつあった、タココーナーがないのである。代わりに、タコ酢は置いてあった。
もうたこには会えないのか。
あの、横山ノックのタコ踊りはもう見えないのか。
井上陽水の『傘がない』の歌にタコを置き換えて、思わず口ずさんでしまった。
都会では〜