長浜に行って来ました
長浜といえば、あの秀吉が城をもらった街。
安土城と共に、湖に佇む写真を見て、いつかは行きたいと思っていた。
後1回分、青春18切符が残っていたので、ぜひ北陸へと敦賀を目指したが、JRの思惑か、わざと塩津から北へは行きにくくしているのである。せっかく鉄道が走っていても、県境や会社の影響力で、連絡が悪い。県境の困難さは、テレビでよく放送される路線バスの乗り継ぎ旅で毎回問題になるところであるが、鉄道の場合、県の影響力の及ぶ範囲とJRの各会社の影響力があるところとが、一致する場合と違う場合がある。それは、鉄道網の形成過程にもよるものであろう。ほとんどの鉄道が、その施設時には私鉄であったからである。それぞれの地方で、資産家がその実情に応じて施設したものであるから、地方の都合がある。
しかし、会社組織にすると過疎の地域や、産業構造の現状に応じて、利用客の少ないところは切り捨てる。いままで、私たちの先輩が税金として納めて来た鉄道を、株式会社として儲け本意で評価し、廃線や駅の撤廃を決めているのである。鉄道財産は、国民のものなのだ。
関西なら、姫路〜岡山、近江塩津〜敦賀、天王寺〜和歌山など、ずっと不便であり続けるところ、さらに不便になるところが増え続けている。都市間輸送で儲けた利益を自分たちの給料に反映させることはしっかりやるが、鉄道の保線や車両の更新には金を出さないというダメダメなやり方をJR各社は続けている。
実際、東京〜大阪のリニア新幹線にも、税金が導入されている。JR北海道に支援の手を伸ばさないJR東海にどうして支援するのか。
それなのに、JR各社の管理者は、ものすごい給料を摂っているのだ。
さて、長浜である。
駅は綺麗だが、トイレは1世代前の単なる水洗。手洗いには消毒の洗剤もない。典型的なほって置かれた駅舎である。
早速観光地図を取って、街歩きに出かけた。遠くに見える伊吹山がすごい。
観光客が多いと思っていたが、昼食の時間であったのでそのところはわからなかった。
地図が曖昧で、建物を照査に書き込んでいないので、初めはどこを歩いているのかわからなかったが、住民に聞きながら、案外小さな町であること、一町ごとの区割りで、駅の東でいうと東西5百メートルもないこと、堀も2メートルほどの広さであることなどわかって来た。
この広さなら子どもでも大丈夫。
そういえば、昼食を終えた子連れの観光客で北国街道は賑やかであった。
出遅れてしまったが、小1時間、地図上のイラストの場所を尋ねた。まるで、昭和初期の雰囲気であるが、さほど古さは感じない。どうしてだろう。しっかり、自転車屋さんも、古さを守り建前を工夫しているのに、観光という立場性が生きすぎているようにも思える。
地方の観光地であるような、しょうもないものを売りつける商法はないし、住民もとても柔和である。それだからこそ、街中にガイドを置いて欲しい。街案内のボランティアがいれば、もっと魅力的な街になるであろう。
お土産に赤い蒟蒻を買った。
大通寺も拝観した。
帰りの新快速は、満席だった。
2時間1980円で飲み放題ができる長浜浪漫ビールのレストランに、行ってみたかった。【後悔】