7万円の食事したことありますか?
今日国会で接待疑惑の山田真貴子内閣広報官が、国会で質問に答えた。内容は、またまた野党の準備不足と質問のまずさで、何にも明らかにはならなかった。
なんのファクトも自分たちで用意をしないで、週刊誌の記事を頼りに発言している。まったく、国政調査権や独自の調査などしないで、おそらくの話を組み立てているから、見苦しいし、はっきり言ってアホである。
ところで、74,000円の食事を奢られて、その相手の願いが何もわからないということってあるのだろうか?地方公務員をしている友だちに聞いてみると、接待は絶対に受けてはならないという決まりがあるという。それはそうだろう。
なにか、喜ばせられて、その見返りにその人のために便宜をするというのは、インチキである。
74,000円というのは、半端な金額ではない。1週間も続けたら給料はなくなってしまう。どんな店なのだろうか。どこにあるのだろうか?
そんなご馳走になり、しかも、何度もそれを享受してきたのに、ごちそうさまで済んでいるのだろうか?
まず考えられない。よほど、鈍い人間なのだろう。しかし、何もない人にご馳走をするのだろうか?これも嘘くさい。
でも、どうしてこんな腐ったことをしている人が、また、反省したからと言いながら、仕事をするのだろうか?
地方公務員なら、とっくの昔にクビなのに。
自民党政権は、好き勝手にやりすぎである。
ミャンマーのデモ隊を支援したい
中国の口車に乗ったミャンマー軍がクーデターを起こして、もう20日になる。明らかに、中国の傀儡の軍が、中国の信任を得て起こしたことである。
もちろん中国は否定しているが、いつも通り悪の国の悪巧みでしかないのは賢人ならわかる。第一に、国連で非難しなかった。あの、天安門事件でさえ無かったことにしてしまう厚顔無恥の国である。
わたしは、国民がほぼ工作員である中国人を移民のようにたくさん受け入れている自民党の政策が理解出来ない。二階あたりが、中共から金でももらっているのであろう。
自民党は、ネトウヨを使い革新派を反日と呼ぶが、反面中国人の横暴は非難しない。チベットやウイグルで、殺戮を繰り返しているのに、経済のため、自分の会社の儲けのために、正義感を捨ててしまっているのである。その苛立ちを、低級国民を苦しめることに、反日という言葉で言葉狩りをしているのである。
45年前に、シルクロードがテレビで放映され、西域のホータンやウズベクが紹介された。明らかに人種が違うウイグルも取材していたが、一度は行ってみたいと思うほど、人々は明るく貧しいなりに幸せそうであった。
それを、頭中学生並みの漢民族が、めちゃめちゃにしていった。イスラームの繋がりで、周辺のタンのつく国や、中近東の国が支援すれば良いものの、中国人に金を撒かれ、イスラームの心を捨ててしまった。腰の短剣が泣いている。
そんな汚い中国人がミャンマーに金を武器に介入している。このファクトは沢山ある。軍事政権と共産党政権は共通の部分が多い。はやい話、好き放題である。
そうさせないためには、正義や歴史伝統、を前面に持ち出さなければならない。
ミャンマーは、日本と長く関わりのあった国である。水島帰ろうと叫んだビルマの竪琴という名作もある。森で埴生の宿を歌う場面は、感動的だ。30年前には、軍事政権だが行ってみたい国であった。実際にミャンマーを訪れた大学教授が教えてくれた。
軍事政権が中国共産党の指導を受けているとしたら厄介だ。あるものはないと嘯き、したことは隠蔽してしまう。まるで、安倍晋三の森友、加計学園のようなものだ。小学生でもわかる嘘を連発し、やっていることは中学生の悪戯、いじめ、嫉妬、取り越し苦労程度のことだからタチが悪い。
国民は、都市部でゼネストを構えるということである。ミャンマーのデモは、基本不服従を貫き、大人しい意思表示をする。しかし、中共の指導を受けたアホな軍事政権は、おそらくゴム弾と称して、自動小銃をぶっ放してくるだろう。今日の映像でもあったが、警官はみな自動小銃をもっていた。もう、中国の大好きな、武装警官である。あの警官の家族はなんとも言わないのか?「そんな国民を敵にまわすようなことをして」とかなんとか、我が家なら言う。あの警官たちは、貧しい村から集められてきた、出稼ぎ農民なのか?それとも、朝鮮戦争の時のように、中国人民解放軍のなりすましなのだろうか?写真に自動小銃がはっきりと映っているから、もうすぐ引き金を引く。
こちらは、何か送り込まれないのか?ゆるキャラの軍団に化けた特殊攻撃兵や、大きな木馬の中に、アメリカ合衆国海兵隊を潜ませるなどしてやらないと、犠牲者が沢山出るであろう。
なんとかして、デモ隊を守りたい。
もう時間がない!
メイドインベトナムを
今日は、大手の衣料販売店にフェイスタオルを買いに行った。
昨日、いつも行くホームセンターで、泉州タオルを見つけた。税込で550円ぐらいだった。泉州タオルといえば、使い心地や品質は最高とされている。もともと、綿花の栽培が盛んな地であったため、日本では歴史が長い。
本当はそれが欲しかったが、家の斜めの洗濯機が、選択をすると考えると、あっという間に生地が傷み、ふわふわの触感がすぐになくなるだろうと気が付いた。
あの洗濯機は、水は節約をするものの、柔軟剤を入れようとも、ふわふわにはならないのである。タオル類は、全てガサガサのカリカリになってしまう。だから、良いものは洗濯できない。最先端なのに。
そこで、大規模衣料販売店に行った。可愛らしいものや、色の鮮やかなもの、アメリカの有名なキャラクターものなどが、2枚500円ほどで売られている。
しかし、中国製だ。
安物買いの人は、すぐにそれを買うだろう。実際、広い場所を中国製のタオルが占めていた。
ミャンマーで、軍事政権がまた誕生した。ミャンマー軍は中国が操っている。中国は例によって否定はしているが、中国人が本当のことを話すはずがない。嘘である。中国に指導されてミャンマー軍は、国民を射殺しているのである。
証拠は十分。あの天安門事件と変わりない、排除法である。武装警官が発砲したように見せかけ、実は軍を投入している。
中国のすることはわかりやすい。それは、いつも幼稚で、不自然で、馬鹿馬鹿しいのである。
今回のミャンマーのクーデターは、その三要素に当たる。
だから、もう、賢い日本国民は、中国製のものを買っては行けない。買わなければ、中国内で必ず混乱が起こる。そういうことにならないと、国民が全て中学生の中国では、誰も気づかない。気づいたとしても、もともと道徳観念などないものだから、日本を非難し続けるだろう。
種類は少ないが、中国製の下に、目立たないところに、150円高いベトナム製のタオルがあった。品質の高さを売りにしている。縫製の技術は、中国製とそう変わらない。
ということで、ベトナム製を購入した。
大型衣料販売店は、ほとんどが中国産てある。安さで売るためだが、縫製工場をベトナムやタイ、インドなどに変更すべきである。
中国製は、万が一の場合、何も保証はしてくれない。
ちなみに、一緒に買ったパジャマは、カンボジアであった。
昨日は山も駅もお掃除をした
きのうは、猛烈な花粉にさらされる中、高取山に行ったが、日頃タバコの吸い殻を拾っているので、少ないが山のゴミにも黙っておれなくなった。
いつもの60センチのゴミバサミがないので、持っていた軍手を右手にハメ、直接手で拾うことにした。濡れていると嫌だし、腰を屈めるのはしんどいことだが、仕方ない。これしかゴミを取る方法はなかった。30リットルの手提げのゴミ袋は常時持参している。
どうして、山に来てまでゴミを置いていくのだ。というか、山仲間は、山には何も置いて帰らない。チョモランマには、酸素ボンベや食料の入れ物、遭難者の遺体など、数々の忘れ物があるようだが、それは山を愛する者の仕業ではない。超高山では、腐らないし分解しない。
タバコの吸い殻だけで、30本余り。コーヒー缶や猫に与えたのだろう餌の缶詰もあった。山に行く人が増えたものの、マナーは確実に悪くなっていく。
そういえば、登山客の中には、挨拶をしない人がいる。山の中では、進んで挨拶をする習慣があるが、挨拶をしても挨拶を返してくれない人がいる。びっくりするが、それは高齢者の方が多いのだ。にわか登山なのであろう。何やってるねんという感じである。
昼は、町中華に行き、少しだけ贅沢をした。
そのあと、借りていた本を返しに県の図書館に行き、駅前を通ったら写真のような光景である。
駅前なのに、こんなのである。
少し前は、百貨店があり、建物の前の歩道はとても綺麗であった。しかし、今は東京のスーパーが入っている。タバコの吸い殻、ティッシュペーパー、コーヒー缶など、散らかり放題。
おまけに、近くのハンバーガーショップの紙袋やコップが散乱している。買い物客は知らんふりをしている。この辺りの人にとっては、ゴミは、日常なのである。
恥ずかしいし、仕方ないので、夜にゴミ拾いをした。なんと、30リットルの手提げのゴミ袋は2袋になり、瓶缶は、15個もあった。市バスのバス停は、神戸市が掃除をしないのだろうか。汚い。観光地しか掃除をしない神戸市根性である。こんなところにこだわるのがほんまものだ。
あと1箇所、ひどい中央分離帯を見つけた。掃除すべきかどうか迷っている。
ちなみに、定点観測近所の吸い殻は11であった
明日、高取山にしない?
登山といっても大したことはない。
あっという間に山頂に着く。若い頃は。
328メートルという、中途半端な高さが、いつでも登れるという人々の驕りを呼び、登らない人が増えてきた。しかし、50年前には、手軽な娯楽として、日曜日は、とても混雑をし、登山道は、すれ違う人でいっぱいであった。と思う。
幼稚園の遠足でも、小学校の自然観察でも、中学校の駅伝でも、高等学校の部活でもクラスハイキングでも、高取山は、御指名であった。
日曜日ともなれば、家族総出で、山登りに行くことが多く、飼い犬を連れて行き、すれ違う犬と喧嘩しないように犬の綱を引っ張っておくのが子どもの仕事であった。
途中にある茶店でも、名物のおでん(関東だき)を、食べるのに、席がない時もあった。輪投を借りるのも、なかなかできなかったし、卓球などなかなか順番が、回ってこなかった。
しかし、淡路島や近隣の山が娯楽の中心であった高度経済成長期を過ぎ、バブル経済期になると、沖縄や北海道、海外旅行に、旅の行き先が変わってしまった。遠く行くこと、知らないところに行くこと、高い山に登ること、など、見栄と虚勢を張ることが、ステイタスになってしまった。
そのため、それまでフェリーが神戸からも長田からも須磨からも出ていた淡路島への旅行は廃れてしまい、高取山など神戸な裏山へは、登らなくなってしまった。洲本の馬も、鳴門の渦潮も、茶店のおでんも、みんな高いご馳走や豪華なホテルに代わっていったのである。
たまに3000メートルの高山に登る前に練習で登る高取山は、年々寂れていった。しかし、六甲縦走の山として、トイレが整備され、1番上の月見茶屋には、裏から車で行けるようにもなった。人は減ったが、整備はしていたのである。しかし昭和30年代にたくさん建てられた祠や石碑は、清掃や整備されることはなく、かなりくたびれてしまっていた。
実際1番下の清水茶屋は、しばらく閉店していたし、安井茶屋も、別棟を倉庫にし、広いグラウンドに犬を放したり、イベント会場のようなものにしたりしていた。いつも、ここで遊んだなぁとか、犬が逃げて捕まえに行ったなあとか、思い出していたが、だんだんその面影も無くなってしまった。
しかし、コロナ禍である。
山に、たくさんの人が戻ってきた。一時山女ブームもあったが、それは、単体の山としてはなく、六甲縦走としての通過点であった。しかし、今度は違う。中学生や高校生が、昔のように登ってくる。とくに、小さい子どもを連れた家族連れが多い。
お弁当を山頂の高取神社で食べている人もいるが、今日は1番上の月見茶屋は満員であった。
ここは、可愛い猫もいるが、花も手入れをしていて、登山客のものだろうか、なぜか小説をくれるのである。
天気の良い日には、ハンモックで読書もいいだろう。そうだ、ハンモック体験の場があれば良い。なかなか、順番は空かないだろうけど。
高取神社では、ベンチは全部塞がっていた。たくさんの人である。山頂はもう少し上にあるが、それを説明している人もいる。久しぶりに故郷に戻ってきたみたいな雰囲気である。
やや霞んでいるが、景色も良いし、ちぬの海を行き交う船も素晴らしい。帆船も、巡視船も、加藤汽船の高松行きフェリーも見える。
海と山、神戸ならではの景色である。
これが家からわずか40分で味わえるのだ。
おまけに、可愛い猫があちこちにいる。野良猫に餌を与えては行けないと勝手な人は言うけれど、いま、人里離れた餌のない山に住み、キツネの脅威に晒されている猫たちを、登山客はものすごく大切にしている。わたしも、鰹節をポケットにいっぱい詰め込んで、持って上がった。
どう?明日高取山にしない?
花粉多いけど。
たかとりは、古代からの呼び方で、何かすごいものだということを、本で読んだことがある。
どうすごいかわからないけれど、意味が深いらしい。
オリンピックより大事なもの、貧しい日本は、両立できない。
寒い。変な日本語ではあるが、実に寒い。
今更また寒波が来るなんて、約束違反である。
ところで、ポイ捨て吸殻定点観測は、9個であった。寒さからか、たこ焼きを買いに来なかったのか、初の一桁を記録した。
巷には、新しいオリンピックの会長が女性になるとか、企画する3人が全員女性ということで、121位の汚名挽回かも知れないが、所詮男性社会を支えるために議員をしている人たちである。本来何の話し合いをしているのかも知らされず、また、官邸や自民党とのやりとりもあるはずなのに、うまく誤魔化している。原案に賛成するだけの、シャンシャンの会なのである。
少なくとも、政治との訣別をはっきりさせるために、会長は国会議員を辞職すべきである。
東京オリンピックは、もうできない。わたしたちが、ワクチンが打たれるのは、来年の3月である。その途中で、大量に陰性かどうかわからない外国人が流入するのである。
日本でこんな調子なのに、大丈夫なはずがない。もし、オリンピックをしたら、日本はまた流行が繰り返されるのである。
延期なんて無理な話だ。
わたしは潔く、諦めた。
声をあげよう。G7の中で1番貧しく、シンガポールや香港、台湾よりも、日本国民は貧しい。170万人の億万長者がいるが、これらの人だけが儲かっているのである。
三日坊主になるもんか
うんざるするタバコの吸い殻。
一度気になると、通勤途中であっても、白い小さなものを見ると、オヤっと目がいってしまう。しかしたとえそれが吸い殻であっても、手で直接拾うわけにはいかない。すまないという気持ちを残して、立ち去るのである。
もう携帯用のゴミバサミを作ろうか、いや、割り箸を常時持っていようか、と考えるのであるが、そうなると、通勤時間どころではなくなってしまう。
今日は、早く帰宅して、例の家の前の吸い殻を拾ってみた。昨日より少なく、10個であった。別に、緊急事態宣言があったからではない。原因はわからないけれど、風邪のせいか少なかった。何かのきっかけで、自分のしていることに気づいてくれたら嬉しいが、夕方から夜にかけて、たこ焼き屋が盛況になるとまた吸殻が打ち捨てられるであろう。
ところで、一昨日、冷たい雨の中に掃除した場所に行ってみると、あれあれ、こんな具合であった。
歩道を行き交う人も、知らんふり。
まあ、仕方のないことである。
すぐ近くにある、会社の倉庫兼配送センターみたいなところの前も、ゴミだらけである。
掃除をしないのであろう。
働いている人にとっては、会社のある地域など関係ないのであろう。同じことが、近くのたこ焼き屋にも言える。ゴミなど散らかし放題。おまけに油を雨水升に流す始末。だから、歩道がそこだけ油ギッシュである。
しかし、これまた近くの信用金庫は、とにかくよく掃除をしている。地域掃除にも出てくる時もある。働くということを改めて考えさせられる。
さて、今夜は寒いが、8時半ごろからまた掃除に行くつもりである。よいことは、人知れずやるべし。家訓である。