敗者の歴史
年末年始はどうして歴史ものが多いのだろう。この1週間で、だいぶん歴史の知識が蘇って来た。
NHKは、やはり西郷隆盛一辺倒であったが、それでも、歴史ものをするのは、NHKが1番である。
それを見ていると、歴史は、実にいい加減なことが多い。残された歴史は、勝者の歴史であるだけに、完全に敗者を悪者にするか、なかったことにするか、見当違いにするからだからだ。
怪しいのはいろいろあるが、それも何だかんだ、毎年その人も場所も注目度もどんどん変わってくる。
今年は、久しぶりに卑弥呼の謎解きがあった。今までは、魏志倭人伝に書かれている事から、邪馬台国を追究するものばかりだったが、今回は、魏の国の都合から読み解いていくものであった。西の大月氏と比較して、魏は同じように東に遠い国から使いが来たとしたかったのではないかというのである。
そのため、邪馬台国を実際より時間がかかるように書いたのではないかというのである。 だから、無茶苦茶な距離になり、日本のはるかかなたの南の島に行き着くことになる。
こういう、魏の都合で嘘がまかり通っている。
明治維新も、おそらく綺麗事でかなりハッタリがあるようだ。薩長がかなり事実を改ざんしてしまっている。坂本龍馬より尽くした人は多くいた。
長州が行なった、会津や東北に対する攻撃も、勝手な言い分であり、馬鹿馬鹿しい。
そうかと思えば、ついこの前までいなかったと言われていた聖徳太子は、実は何もしなかったけれど、歴史上にいたような言い方もされている。
こんな調子で歴史は、今に至る流れが、自然に流れて来たように整理整頓されてしまっている。
1番心配なのは、こんな調子でやってきたことが、現実でもあるということである。
相撲協会もしかり、被害者側が処分された変な出来事なのに、暴行したものよりも被害者が悪いとする矛盾が、あの池坊は分かっていない。ただ、気色悪いほど気どったおばちゃんのヒステリーにしか感じられないのはわたしだけなのだろうか?
こうして矛盾はそのまま間違って伝わっていく。