道徳に教育勅語が登場
文科大臣という職には、なんか変な人がつく。いつぞや、朝ごはんを食べないと学力がつかないと言い出して。学校現場に食教育を持ち込んだ大臣もいた。家庭のことなのに学校では、朝食アンケートまでとるようになり、忙しく朝バタバタしている家庭からは、プライバシーの侵害であると鬱陶しがられた。
いつもの、超いい加減な神戸市の教育委員会も調子に乗って、食べてこない子をなんとかしろという、なんじゃこりゃというお達しを発した。先生が朝食を作ってやるのである。近所のネグレクトの家に先生が朝からよくきていた。
朝ごはんを食べたから、生活態度が良くなったのでもなく、ネグレクトの家庭は、いつまでもネグレクトなのである。
このように社会問題を、教育問題にすり替え、調子に乗って教育委員会も、教師に立ち向かわそうとした。
全国都道府県名が覚えられていないと、自分の身内の恥を公開して、覚える事を必須にした爺さんもいるし、道徳で、気持ちをきちんと理解したか、ノートに書かせる婆さんも出現した。
本当に、全てが自分基準、戦前の教育基準にある。
馬鹿です。
今回の教育勅語も利用すべきというのも、安倍の意見であろう。実際森友学園はそういう保育園であったのだから。安倍は同じ考えの短絡的なお友だちを使い、適当に失言をさせ、世間の動向を調べている。加えて、子飼いのネトウヨに、反対派を攻撃させてきた。
サンデーモーニングも、ネトウヨで溢れかえりまともなことが伝わらない。
道徳をすればたちまち、社会がよくなるとでも思っているのか、まるでお芝居である。
幸いなことに、公明の山口さんは、憲法改正の提起に待ったをしている。えらい。
そうだ、平和の党なのだ。
教育勅語が好きな安倍は、どうして総裁になったのだろう。自民全体がそんな奴の集まりなんだろうなあ。維新は教育勅語が好きだけどもう勢いもないからほっておいてもいい。
でも、戦前のシステムを放棄して70年もなるのになんて国なんだろう。