アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

そうだったのか

定点観測のタバコの吸い殻が、今日は5本であった。すごい、減ってきたと、東京都のとんでもない数のコロナ患者の数の推移のように、安心していた。

 

そのあと、いつも町内も見て回るので、ゴミ拾いをしていたら、町内会長に出会った。

 

「今日は吸い殻が少なくなってきてよかった。」と、都知事のようなことを言うと、

「朝も拾ったのにまた捨てる人がいるからなあ」とのこと。さらに聞くと、昼にも、近所の女性が掃除をしてくれていると言う。明日がゴミ回収の日なので、特別に掃除をしているらしい。

それで、今日は、数が少なかったのだ。

 

とにかく、例のたこ焼き屋をなんとかしないとヘリはしないし、よく見ると、くわえタバコの人が多すぎる。その多くは、道をゴミ箱だと思っているのだ。

 

これをいたちごっこというのか?

虚しい活動だが、共感者を増やすしかない。

夫婦別姓に反対する理由がない丸川五輪相

こんなのでいいのだろうか。

男が言っているからと、理由もなしに夫婦別姓に反対し、自分は通称名として旧姓を使っている。

なんの理由もなく、反対だと騒いでいるもう頭のおかしくなった自民党の連中は、アジアンビューティなどと持ち上げ、もう、アホらしくて国会など見てられない。

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何度も書くが、日本は伝統的に夫婦別姓の国であった。明治に天皇制にして国民国家を形成した時、土佐、長州、薩摩の下級武士が、一割しかいない武士の振る舞いを、しかも、殿様クラスの習慣を押し付けたに過ぎない。

 

武士においても大抵の家は、夫婦別姓であった。もう、男性だけが働いている家庭は半分以下になり、統計上、さらに女性はたくさん働いているはずだから、もう、夫婦同姓を婚姻の基本とする、変なことはやめればいい。

 

OECDの35国の中で、夫婦同棲は日本だけであり、先進7カ国の中で日本は1番貧乏で、さらに今は、給料や物価の対比から、日本は韓国と肩を並べ、アジアの最貧国なのである。貧しい国民が、一部の高額所得者の、餌食になり、苦しい生活を送っているのだ。

 

この話は、我が家の猫の可愛らしさや、子供の仕草の面白さなど、ちんたらブログで書いている場合ではないところに来ているのだ。それなのに、企業家の代表の自民党でないとと、バカなことばかり金持ちは書いているし、搾取されている庶民も、とっくにシンガポールに追い越された給料に、なんの疑問もなく、野党はダメねって、読売の番組のコメンテーターのような馬鹿なことを口にするのである。

 

日本は、あと5年、もっと貧しくなる。

爆笑問題は偉い

田中裕二が、蜘蛛膜下出血、脳梗塞から復活し、相方の太田光と漫才で復帰をアピールをした。

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漫才師なので、漫才でファンの前に立つってとてもフェアだし、わかりやすい。

太田光は、憲法9条にまつわる本を出版するし、なかなか考えが深いし、おちゃらけ報道番組のMCをするなど、教養人としての一面がある。

 

関西芸人は、東京で売れると、もう漫才をしなくなり、金持ちになりすぐに偉そうにするが、爆笑問題は、筋が通っている。

 

渡る街中はゴミばかり

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今駅前まで歩いてゴミ拾いをして来た。

 

今日は、いなり寿司とイワシの柳川風の夕食で、かなり甘味をとったので、少し歩こうと近くのスーパーに買い物に出かけた。

 

夕食前はゴミもなく、定点観測のタバコの吸い殻は案の定なかなか減らず、17個という記録に泣いたが、その時はきれいに掃除をした。

 

しかし、スーパーに行こうと門を出た途端、見慣れないお茶のペットボトルが歩道にに放置されていた。

 

あ〜あである。

 

近くのたこ焼き屋に買いに来ている自動車の客が置いていくのである。中には、道に投げ捨てる奴もいる。この街をゴミ箱と思っているのか、いつもそういう価値観で過ごしているのか、中には、箸や包装紙も車道に捨てていく奴もいるのだ。

 

だいたい、夕飯にたこ焼きなんて、なんという食生活なのだ。いや、うちもたこ焼き大会はしたことはあるが、縁日でもないのに、どうして車中で済ますのであろうか。たこ焼きは好きだが、もう近くの店では買わなくなってしまった。地域の美化、街の静寂にとって、諸悪の根源である。

 

そう思いつつ、歩道にはすでに、待ち時間に吸っていたのであろうタバコの吸い殻が5本捨てられていた。急いで買い物を済ませて自宅に帰り、ゴミ拾いをした。勢い余って、少し離れたJRの駅までゴミを拾ったが、15リットルほどのゴミが集まった。相変わらず、タバコの吸い殻が多い。40本以上になる。

 

おまけに、駅のすぐ北側のパチンコ屋と、コンビニは、またまた、この辺りの諸悪の根源なのである。パチンコ屋に来ている人は、どういうわけか、外の喫煙場所でタバコを吸っているが、吸いながら帰る人が、路上に捨てている。

 

コンビニの横にも喫煙場所があるが、ここに集まる人たちの態度が悪い。柄も悪いが、コンビニで湯を入れてもらったカップ焼きそばをタブでそのまま容器を捨てて帰ったり、中にはジュースやコーヒー缶も、放置する者もいる。

 

アホである。

 

カップ焼きそばとカップラーメンもあった。そこまでは回収したが、空き缶は中身も入っていて厄介だったので、コンビニが気づいてくれるのを期待して、諦めた。

 

本来、コンビニが販売したのであるから、ゴミ箱ぐらい置いて回収すべきなのだ。とくに、この町でも行儀の悪い連中が多い場所である。外国人も多く、生活習慣や衛生感覚も違う。缶詰の空き缶や空き瓶、テッシュペーパー、など、なんでもござれである。

移民を促進していても、こんなにいい加減な連中のテリトリーに来た外国人はきちんと教育できない。

それができない者同士の相乗効果でひどくなって来ているのである。だから、このあたりに行くのが嫌なのだが、ここをなんとか綺麗にしないと、離れた私たちの街にも影響が出てくる。風評被害もかなりある。本当に嫌だけど、仕方がない。そう自分に言い聞かせてゴミをとっている。

 

神戸市は、区長を公選制にして、やる気のある人を選ぶべきだ。他区から来た役人が、やる気もなく適当にやっているのが神戸市の区の行政である。

 

小1時間歩き回り、ゴミを回収した。

少しはスッキリしたが、あのコンビニだけは、早く潰れて欲しい。

安いはずのカニはどこへ行った?

今年の冬は、蟹がいつものように取れているのに、コロナ禍で観光客が少なく、また、日本へ押し寄せる外国人が全くなくなったため、経済の論理からすると、安くなるはずであった。

ちなみに、蟹は一割ほどしか国産はない。たいていロシア産である。

 

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阪神淡路大震災の時も、ちょうどこの時期だったため、外国人観光客がまだ来なかった頃、日本人は被災者を気遣い、カニを食べに行ったり、旅行をしたりすることを控えた。中には大阪人のように記念撮影に来たようなバカは居ただろうが、日本中が悲しみを共有し、蟹もあまり売れなかったという。

 

売れなければ安くなるのが経済論ではあるが、なかなかかには安くなった感はない。むしろ、安くなっただろうと思い、ウハウハでスーパーに行っても、昨年と変わらない値段で、いつの頃の冷凍物だと、疑いたくなるような蟹が並んでいる。中には、古さを明白にする、黒ずみがある蟹がある。

 

おそらく、今年の蟹は、来年用に冷凍されているのであろう。別に気象変動ではなく、人間界の勝手な都合で食べられないだけなのに、もう、都市部には運んでやんないという、生産地の思いもあるのであろうか。

 

このままでは、もう冬にはカニを食べなくてもいいわ。というようになるであろう。正月の数の子が、

高い→買えない、

高い→買わない、

高い→いらない、

となったように、もう、わが家では、食べなくてもいいじゃない。というように、突如ギター侍が現れ、切腹という流れにあるのだ。

 

わが家の冬のよき日の鍋は、シーチキンとホタテで十分。なんなら、鯖の水煮の方がもっと栄養があるし血がサラサラになるし、一石二鳥と家族にも言わしめる変化が出て来た。

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これ去年の蟹らしい

 

もう蟹は、東京の接待で使われるのみで、70,000円のコースに君臨するぐらいでないとお目にかかれないものである。

しかし、庶民を見くびれば、とんでもないしっぺ返しが来る。いまでも高額な技術料を取り続けている高級料亭は、今すぐ全ての料金設定を格安に変更すべきである。また、卸業者は、米問屋のような、売惜しみをせず、廉価で販売して欲しい。

 

ネットだけでなく、使えないお年寄りのためにも、安くスーパーに流してほしい。

 

須磨浦公園もごみだらけ

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今日は、午前中は高取山への登山に出かけ、山で暮らす猫たちと出会って来た。

 

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昼からは、久しぶりに、自転車に乗ろうと、神戸の塩屋までサイクリングに出かけた。潮見台という、須磨駅の山の方まで登り切り、谷を下りた。まるで、源義経の一ノ谷の坂落としの物語のようであるが、わたしは、一ノ谷は須磨ではないという説を推している。

 

先日のNHKの歴史番組が、勝手に須磨浦の一ノ谷が本命のように放送していたが、それはあとで面白おかしくしたものであると考えている。

当時の武士の慣いから言うと、義経はとんでも無く卑怯な男であり、心理学的に言うといいカッコしいでとても劣等感に裏打ちされた目立ちたがりの嬉しがりの気象が見え隠れする。

ちょうどサッカーがブームになりはじめたころ、独り言を言いながら、やたら長い髪を振りかざし、友達と決して馴染まず、自己主張ばかりくり返していた、サッカー少年に似ている。まさにそのものであったであろう。

 

須磨浦公園に、一ノ谷があったのかどうか、鵯越がここにあったということを、古代の呼び名で説いていたが、そんな細かなことが、中央に届くはずもなく、地形と義経の人柄と、聞き書きの物語であるということを考えると、馬が小さかったとは言え、あんなところから下りてくるはずはない。

 

まあ、とにかく須磨浦公園の近くには、敦盛塚があり、この辺りという指標となっているのだら、須磨寺とはずいぶん西に離れているが。

 

塩屋までは、JRの線路がすぐ海岸側を走り、乗車していても景色の良いところである。JRと、国道2号線と、山側に山陽電車とが走り、しかも、その山側は、数軒の家屋はあるものの、急峻な崖である。

 

そこを、左手にJRの線路を見ながら、自転車で走った。西向きは、舞子のアウトレットに向かう車が渋滞している。これは、いつもの休みの日の光景だ。そこを、ランニングしている親子や、明らかにマラソンランナーと思われるユニホームにみを纏った若者が走っている。そこを、フレンチバルブのパイクでウヒョウヒョとすり抜け追い越していく。中には1人分しか道幅がないところもある。右の車道側にはガードレールが、左のJR側には鉄のフェンスがある。

 

この景色の初めには、ガソリンスタンドがあり、よく掃除が行き届いていた。毎日近所のゴミ拾いをしていると、ついついゴミが気になるものである。すぐに紙類があちこち道に散らばり始め、JRのフェンスの下から線路にかけてその何やらわからない紙ごみや紙コップ、お馴染みのハンバーガーの包み紙など、むちゃくちゃになって落ちている。捨てる人は、ゴミ袋に固いゴミを持ち込んでいるのであろう、何本かある海までの暗渠には、沢山の青いビニール袋がうんざりするほど積まれている。どうしてと悩んでしまう。どうしてこんな状態になるまで放っておいたのだという方の驚きである。神戸市も、JRも、国土交通省も、だれも維持していないのだろうか。これは誰のものなのだろうか。

この堆く積まれたゴミ袋が劣化し、破れ、ゴミを周りに撒き散らしているのだ。ビニールは、どんどん海に運ばれていくのだ。

何をやってんだ。

と、思わず声が出てしまっていた。これがファッショナブル神戸の真の姿なのである。

 

塩屋まで行き着いたが、たるみまで行くと帰りの歩道は南側一つなので、面白くもないから、駅で北側の歩道に渡り、東へ引き返すことにした。今度は、左側が山側で山陽電車の石垣と溝、右側が国道2号線となる。今度は緩やかな下りが2段階にわたってあり、漕ぐのは楽ちんである。やがて、ファミレスを通り過ぎる時にふと左手の溝を見ると、またまた、ゴミが捨てられていた。この辺りから須磨浦公園にかけて、すごい数のハイボールやコーヒーなどの空き缶と、明らかに、公園で食べた残りを捨てて帰ったと思われる白いレジ袋、トレイ、包装紙などがある。雨水が流れる溝ではなく、まるで、落ち葉の上に置かれたゴミ箱のようである。200メートルは続いている。

これが、神戸の観光地なのである。f:id:deebtomy8823:20210227215450j:imagef:id:deebtomy8823:20210227215506j:image

 

 

どうしようか、

えらいものを見てしまった。

見てはいけないものを見てしまった。

 

いちど、区役所にでも聞いてみることにするが、溝に入ってもいいのなら、自分で掃除をしたい。でも、燃えるゴミ袋は20枚、ビン缶袋は10枚はいると思う。

 

不法投棄を防ぐために防犯カメラや、注意書きをきちんとしないと、神戸市民として恥ずかしすぎる。

日本はもともと夫婦別姓の国なのだ

またまた自民党の頭の悪さと歴史的認識の甘さが露呈した。

夫婦別姓反対を声高に叫ぶ国会議員が沢山いる。その主張は、同姓婚にしないと家族制度が壊れるとか、別姓にすると親子別々の姓になり混乱するとか、社会の秩序のことばかりで、別姓にして、力や人間関係を温存できる女性の気持ちなど、何も考えてはいない。

もう30年も前に、既婚の女性が旧姓で勤めていたが、上司は数々の嫌がらせをしていた。実際、自分の親が考え抜いてつけてくれた名前が好きなのだということや、別に旦那と結婚したのであって、家と結婚したのではないということを主張していた。

正論である。

生まれてきたのに、自分の不注意でしたことでもなく、まして、そうなろうと思ったわけでもない旦那の姓を、いきなり名乗らないかんのやと、いつも主張していた。

周りは、どうしてこんなことになっているのだと、憲法改正を9条ばかり言っている自民党の馬鹿どもを、馬鹿にしていた。

明治時代に、町人や農民の習慣を取り入れていたら、夫婦別姓のままでいいのであるが、殿様クラスの変な士族のしきたりが、仰々しくも、さらに研ぎ澄まされ、男尊女卑のいわゆる男にとって便利な社会の理想像を作っていたのである。錦の御旗をくれた、天皇に忖度して。

 

維新は当時も今もインチキである。

 

自民党の橋本は、男性の都合の良い女であった。ハグはするわ、飲み会にはついてくるわで、モテない冴えないおっさんにとって都合の良い女であった。そうやって、女は弄ばれてきたのである。男のための国会議員なのだ。

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オリンピックの本当の意味など知らないのに、ただ筋肉を動かしたかっただけなのだ。さらに言えば、スポーツなど、遊びにすぎないのだ。それに税金を導入して、ぶら下がって生きている奴がいる。たいてい、不勉強だからリベラルではない。リベラルは、今にないものを求めるから、頭を使う。絶えず元気よく返事をして、大声をだしてその通りであります、御意など言っておけばなんとかなる、保守に枠組みされれば、不勉強は露呈しにくい。しかし、国民はスポーツ選手のそのような傾向は、お見知り置きなのである。早稲田や慶応のスポーツ部員はみんな下駄を履いている。不公平であり、アホな行為である。早稲田など、きちんと入試で入る学生は三割にも満たない。

また、歳をとって、80も過ぎた老人が、スポーツとはねとか、私の頃はとか口にし出したら、もう聞いてはおけないのである。

 

さて、困ったことに、五輪相の丸川というこれまた男のためにやっている女が、夫婦別姓反対なのである。それも、地方議会で夫婦別姓賛成をしないよう、愚かにも通知をしている。奈良の猿、高市早苗も、同等だ。

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自分は夫婦別姓反対と言いながら、旧姓を使って議員をしている。なめとんか?

このような女はどうなのだろう。自民党の男からすると、便利なのかもしれないが、一体なんの役に立つのだ。

 

浅田真央や、田中理恵はそんなアホな道に進まないでほしい。