庶民を舐めるな
ファーストが、今度国政に進出するという。そこで、与党と共闘して憲法改正を目指すとの、報道があった。
どうやらこの人たちは、政策に理念で異を唱えたのではなく、方法論だけの違いだけで不平不満を言っていたようだ。
これはどういうことだろう。正々堂々考えをぶつけあうのではなく、根っこは一緒でしたというわけである。つまり変わるものは何もありません。と、いうことであって、庶民の忸怩たる思いや、おぼっちゃまに、ばかにされた悔しさを晴らすものではなかった。
関西でも、同じく威勢のいい言葉で改革を叫びながら、結局、小手先の方法論や少しの矛盾を洗い出すだけで、与党と懇ろになった集団がいる。周りの県に浸透しようとするにも、もうその魂胆はお見通しである。だいたい、明治はなんの改革もなく、権力のすえかえでしかなかったというのが、定説になりつつあるあるのに、未だ坂本龍馬の力を信じている。
大前研一さんは、もっと民主主義を知りえていた。言葉遣いの悪いマリオネットに騙されてはダメだ。
両者とも、どこまで、庶民を馬鹿にした騙しをして行くのか。誰か新しい劇場を開いてほしい。