愛犬りょう 1
りょうはわが家の愛犬である。
すでに、「老犬の黄昏」で華々しくデビューた血統証付きの芝犬である。
今は、14歳3か月。
犬の世界では十分すぎるほど、お年寄りである。顔の周りは、ずいぶん白髪?が、目立ってきてた。よぼよぼ、体をゆすりながら歩く。とくに、前足の運び方が、ガニ股になっている。体重がしっかり脚に乗ったことを確かめながら、象のようにゆっくり歩く。
目が見えなくなって1年になる。見えなくなった頃は、度々ないたり小屋の中でじっとしていることが多くなっていたが、今は、犬小屋から駐車場や門まで15メートルばかりの通路を、あちこち植物にぶつかりながら歩き、自転車や自家用車、プランターを巧みに?かわしながら、適当な場所で排泄する。
こんなところに、とびっくりするのだが、その様子を見ていると、そこを元気に走り回っていた頃を思い出し、実に可哀想になる。
そんなりょうは、同じくすっかり年老いた母に、世話になっている。まさに今、社会問題になっている、老々介護である。わたしは、たまに好きな餌を買いに行き、排泄物の片付けをし、そして鼻や顔をくしゃくしゃにいじくりまわすぐらいのことしかしていない。たまに、夜に蚊取り線香を用意するときに、小1時間世間話をすることがある。匂いでわかるのだろうか。目が見えているのではないかと間違えてしまうぐらい、昔と同じ仕草で聞いている。獣医さんの診察では聞こえているかどうかわからないとのことであるが。
今朝のことである。
朝、いつものように身体を触って起こすと、庭に出て身体をくっつけてきた。5分ほど時間をかけてよぼよぼペタペタと擦り寄り、ズボンで目ヤニを拭いた。
隣りの奥さんと園芸の話をしている間に、りょうは裏の畑の方に消えていった。長い話の後、畑で何をしているのだろうとこっそりと覗きに行くと、ゆずの木の下で、周りの植物と一緒に同化し、じっとしていた。
普段は、裏の畑に連れて行こうとしてもなかなか行かないのではあるが、驚くことに自分で来ているのである。歩いて来た通路には、りょうにとっては一番嫌いな 小石が敷き詰められている。これは、肉球を傷めなくないりょうにとって、一番苦手なことの1つであるのだ。
それなのに、あの長い道のりをどうやってやって来たのか?どうして、満足してたたずんでいるのか?
ひょっとしたら、こうしたことが、りょうのリラクゼーションなのではないか。そう言えば、りょうは、背骨を痛め死にかけた時、裏の畑でよく寝ていた。あれは、自然から癒されていたのではないか。土の上で寝そべってなかなか呼んでも来なかったのは、人間にはわからない何かがあるのではないか。
ひょっとしたら、新しい治癒の糸口になるかもしれない。
そうして畑でたたずんでいるりょうを、そのままにして、リビングに戻った。
起きてきた子どもが、りょうはと聞くので、裏の畑でいたよと、答えた。探しに行くと、表の駐車場にいて、外を見ていたという。
僅か1〜2分で移動しているのである。
それはどういうことなのだろう。
走って行ったのだろうか。薄目を開けて生きているのだろうか。亡くなった父の仏壇の前で寝てみたり、飼っていたスッポンが行方不明になったり、おかしなことがたくさんある。