李下に冠を正さず
またまた、中国故事である。
中国なんて好きではないはずなのに、教養があるのだと、見せつけるかのような使い方である。
「あなたたちとは違うんです」
という言葉で辞めた人もいたが、そういう体質があるのだろう。
とにかく、わからずじまい。
与党は、もちろん茶番な質問ばかりをする。食事をして、近況を話さない人がいるものか?だから、軽々しく友達に会ってはいけないのだ。
みんながそう思うのは、中国、四国のことだけでなく、大阪の話も胡散臭いと感じているからだ。梯子を外されたという言葉があったが、あれこそが、この一連の問題を象徴する言葉なのだ。やれやれと急かせておいて、危なくなるとなかったことにする。状況証拠は、バッチリあるのに、それでも不問にし、あるわけないじゃないですかとなる。
海外のメディアも、再三再四、独裁体制の危うさを警告してきた。日本はまだ全体主義である。と。
政治ってなんだろうか。
孟子によれば、
老いて妻なきを鰥(かん)と日い、老いて夫なきを寡(か)と日う。老いて子なきを独と日い、幼にして父なきを孤と日う。この四者は、天下の窮民にして告ぐるなき者なり。文王、政を発し仁を施すに、必ずこの四者を先にす。
とあり、民衆を大切にすることこそ政治の基礎だと説いている。
だからこそ、戦後ますます日本は荒廃してきたのだ。資本主義の弱点を利用し、一部のものだけが情報を得て、利益を積み重ねた。教育や社会に競争原理を持ち込み、勝ち組だけが褒められる仕組みを作った。勝ち組だけが、勝ち組のやりやすい社会を形成し維持しているに過ぎない。
今日も、勝ち組の言い訳大会になる。