「先生宿題を忘れました。ごめんなさい。」
が、わたしの子どもの頃の謝り方であった。そんなに忘れたことはないが、その都度先生から、理由や家での暮らしぶりを聞かれた。
4年生の時に、絵の具セットを忘れ、登校後すぐ職員室に行き、担任の先生に泣いて詫びた。両親に申し訳なくて、涙が止まらなかった。
今どきの小学生は、
まず、自分から言ってこない。教師の方でチェックし、バレた時点で
「家に置いてきました。」
と、さも宿題を家でやっているか のように答える。
事情を聴き始めると大変だ。ああだ、こうだ、と言い訳をし、最後には、自分はやってもいないのに、こんな忙しいのに宿題なんか出すなということになる。その場で不満が残ろうともなると、いよいよその10倍も、脳みその構造がどうにかしてしまった親が登場し、もはや家の問題にはならなくなってしまい、それどころかコネでうまく出し抜いた校長に、わたしならそんな宿題は出さないと、訳のわからない話にされ、もはや学校の話では済まなくなる。
学習者側の誰もが、「自分が」という一人称➕格助詞に立たずに物事を解決しようとする。解決するはずがない。
森友問題も、名前が挙がってくる関係者はみんなこの調子であった。噂が立ち始めた時は、野党を罵り、証拠が見え始めた時には、関係者を捕らえ、さらに、内部告発で新聞沙汰にされると、新聞社を揶揄し、そして、ついに、点検作業で現れた事象に対して、わたしは関係ないと答える。
まるで、今どきの小学生と同じである。
マスコミも、まだ遠慮がちではあるが、腰砕けのNHKより、読売のゼロの方が、公正で立派であった。見直した。やはり、キャスターだと感じた。朝の読売は、最悪だけど。
とにかく、利害関係がわかり、籠池父さんの言い分も辻褄が合っていることも証明できたのだから、この時点で、関係者は切腹すべきである。
そうでないと、いやいや道徳を学ばされる小学生たちに、申し開きができないじゃないか。
はてな事務局からは相手にもしてもらえないが、今政治が「はてな」なのである。