アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

アグネスチャンって

千鳥の、深夜のテレビ番組で、愛知県田原市を旅していた。

年相応に目尻にシワはあるが、やはり相当可愛い。賢さも滲み出ている。

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大吾がたちまちファンなっていた。まあ、そうだろう。アグネスチャンは、香港に帰らずどうしてまだ日本にいるのかわからないが、もうすっかり日本人である。

 

オーヤンフィーフィー、石平、同様なかなか訛りはなおらない。日本に来た頃と変わりがない。アグネスチャンは、確か美人のお姉さんがいた。本名は陳美鈴で、ひなげしの花でデビューした。学校でえらい可愛い子が香港から来るみたいだと、明星か何かを熟読し、なにかとラジオ番組にも詳しい友達が知らせてくれた。どうやら金曜日の6時に大阪の心斎橋のパルコに来るみたいだというので、エイっと昼から熱を出して早退し、そのまま、直行し場所取りをした。一度によりによって3人が早退するという事態は変だが、時間差でしかも理由をそれぞれ考えて、疑われないよう一応配慮した。

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パルコでは、東京のパルコと結んで、ラジオ番組をしていたが、それにアグネスがゲストで出演するというのである。梅田までは阪急で行き、地下鉄御堂筋線を探し、ホームへと降りていった。その数週間前に千里に行くときに、ここで乗ったのに、心斎橋がどちらかわからず、電車待ちのお姉さんに教えてもらった。

長く待ったが、早く着いたので、列の前の方に並べた。案の定、一列目の端の方に座れたが、中央が見やすいというので、二列目の真ん中に3人で座った。ラジオの生番組でパルコの空き部屋なのでそんなにたくさんの人は入れない。だから、舞台までの距離も短く、座席もパイプ椅子である。始まるまで2時間近くあるので、荷物(学生鞄とナップザック)を置いてご飯を食べた。何を食べたか覚えていない。それでも時間を持て余し、会場の人たちとも会話をするようになった。たまたま、学校行事か何かで3人とも黒の詰襟で、2人が学生帽であった。1人は肩までの長髪だったので帽子はかぶっていない。持っていなかったかもしれない。

どういうわけか、一列目の3人と席を変わった。番組が始まるときには、ど真ん中の一列目に座っていた。司会は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの横山プリンと、大阪弁がステキなキャッシーであった。このコンビは、プリンアンドキャッシーのテレビテレビ‼︎で司会をしていた。

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覚えていないが、やがてラジオの公開生放送が始まり、ゲストのアグネスが、出てきた。

小さかった。一番前でも握手はできなかった。とても緊張したのと、白いハイソックスは、覚えている。あっという間に終わり、友だちは出待ちしようと言い出したが、本番中は、会場から出れない。それどころか、後半のこれまた番組の目玉、東西クイズ合戦の回答者にされてしまった。学生服を着ていたからか、初めから決められていたのか、席を変わったからか、3人は、鳴り物を持って舞台に上がった。

横山プリンが、マイクを舐めるように喋りながら近づいてくる。キャッシーは、言いたいことをズケズケいって聞いてくる。よりによって学校を早退したのだろうと聞いてくる。当たりなのであるがそれは言えない。

出されたクイズに、東京のパルコにいる回答者に、負けないように早く鳴り物を鳴らして答えるのであるが、3人は緊張しながらも勝利をおさめた。

 

これが、アグネスとの出会いである。

其の後、アグネスのファンクラブに入ってコンサートに出かけて行くのである。ちなみに会員番号は、16番であった。赤いチューリップの会員バッチは、毎日カッターや時々着る学生服につけて学校に行っていた。

英語の先生にファンレターの添削をしてもらった。学校ではこう習うけれど、こちらの表現の方が英語として柔らかくていいとか言いながら、たくさん教えてもらった。広東語の本を買い、簡単な挨拶文を覚えたりもした。

 

ラジオ番組に出たことは、すぐに学年の友だちに伝わったが、知っているはずの、担任の先生は叱らなかった。

こそばかゆい思い出でもある。

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大人になり勤め始めてから、アグネスがトロントに行くまで2年間勉強をした、上智大学にもよく行くようになった。教室に入り、教壇に立つと、今になって、また距離が縮んだような気持ちがして、背筋が伸びる。