バラエティーにさらばと言おう①
日本テレビのバラエティで、祭りのやらせがあったと言う報道がなされ、やはりそうなんだと思う人が半数以上いるという。
テレビ局はすぐに認めないだろうし、日テレだと、安倍晋三の「誤解を与えたのは申し訳ないが、粛々と進めていく」と言うインチキ答弁から学び、同じように誤解だ、6階だと言いながら、噂が下火になるまでを待つのだ。
ラオスという、あまり日本人には馴染みのない場所を借りて、結局は、祭りをでっち上げ、そこで、別にスタジオでも収録できるようなしょうもないルールに則った祭りというゲームを、面白おかしく演じるだけだ。これは、芸人が悪いわけではなく、企画者が圧倒的に悪いのである。
視聴者は、その失敗するリアクションや、頑張る姿に一喜一憂するらしい。クイズ番組にしろ
チャレンジ番組にしろ、人の失敗は面白いもので、人間としての根源をなす痛快さなのかもしれない。
さて、逆にラオスの人が日本へ来て、日本の祭りと題して、何かアホみたいなけったいな、みたこともないようなことをやり始めたらどうであろうか。「そんな祭り、日本にはないけど」というのに決まっているが、おそらくバカバカしくて抗議はしないであろう。しかし、相手の国が、日本を舐めていると感じるし、祭りの意味をわかっていないと、呆れるのではないか。
祭りは、そこの土地土地の歴史や地勢、気候、食糧生産、宗教、風俗など、人々の生活に根ざしたものである。他者が来ていきなり極められるものでもないし、参加の仕方さえわからないものが、いきなり優勝するはずもなく、メインに撮影されるのもおかしな話である。
そう考えると、外国に行って、冒険というジャンルではあるものの、茶化して帰るというのは如何なものかと思うのである。
日テレは、そういったバラエティが多い。多すぎる。障害者や病気の方を励ますチャリティ番組。子どもたちから、小遣いを集める傍、出演者は、ギャラをもらっている矛盾もあり、公共の電波で流すのはどうかと思う。
離れ小島や、なかなかいけないような場所に畑や家を作り、毎日世話をしてきたような顔をして、そこで巻き起こる、一目でやらせだと感じさせてくれるサバイバル番組。これは、十五少年漂流記を思い起こさせるため、わかってはいるが、そうかそうなんかと、同情させられてしまう厄介さがある。
他にも、食レポの番組では、出演者か、やたらうまいを連発して、最後にはビールで締めくくる番組もあり、そんなにうまいならどうして出回らないのだという矛盾や、どこがどううまいのかという説明も曖昧で、よくわからない。
言えることは、放送局は、視聴者をみくびっているということである。ただ出演者が遊んでいるだけの番組や、ちょっと売れ出した漫才師が体を張って、わかっていることをくどくどする番組もある。本当に高等学校でたのかというような、簡単な問題に四苦八苦する番組もある。台本もあるだろう、アイドルには優しいだろうと変に勘ぐってしまい、気持ちが悪くなる。
そうかと思えば、ドキュメンタリーでは、すごく丁寧な取材をする番組もあり、おそらく放送局には、職人と呼ばれるすごい人がいるのだとは感じられる。
もう日本も、ディレクターや脚本家の名前を前面に出して、番組の内容や番組の教養レベルを推測させるようなことをしていかないと、本来の芸人やタレントの力を、十分に発揮できないのではないかと思う。
また、撮影や音響のスタッフの真面目で素晴らしいところもしっかり紹介してもらいたい。
そういう放送局自身が、自分で変わろうとする姿が見えた時、こんな嘘を視聴者に見せてはいけないという自浄作用が生まれてくるのではないだろうか。
とは言っても、わたしは、テレビが好きだ。もちろん、4Kテレビ配信を楽しみにしている。
しかし、近ごろBSを見る機会が増えた。BSは、選ばれた番組だというのに加え、バカなバラエティはない。
青いお猿が出てくる光通信テレビも、番組のマンネリ化のために今月やめた。韓国ドラマのオンパレードであり、どこの国の配信だと疑ってしまったからである。