2年の減刑の意味がわからん
東池袋の、高級国民爺さんの交通事故死の判決が言い渡された。自動車の不具合を理由に図々しくも無実だと言い切る、ほぼ、認知症レベルの判断力に、なんの反省もしない。いや、できないのであろう。
人は、能力の差はほとんどない。ものを覚えることぐらいは記憶がよく残りやすい人と、残らない人がいる。その僅かな違いで学校があてがわれる、ほとんど運でしかすぎない入試で、学歴が決まる。東大出も、大したことはない。
芸人の宇治原は、常に京大を前面に押し出し、関西の番組で、それ以外の大学なら大したことがないと平気で言う。在阪の放送局はまるで新自由主義の権化のような番組ばかり作るので、学歴をバカにする番組でも違和感なく放送する。
学生に聞いてみても、あかんやろと、みんな不快なのであるが、毎日放送でもそのスタンスは変わらない。
東大王がどうしたというのだ。
話を戻そう。
爺さんはあくまでも車の不具合だと言い続け、ちょうどプリウスがアメリカで順調に売れていた時に自分の運転ミスを車の不具合だと主張し、何百億円もぶんどったアメリカ人を思い出す。あれも、どうして支払ったのだろう。トヨタは、まるで黒船来航の頃の文化も技術も遅れた日本人そのものである。
今回は珍しくプリウスには不具合はなく操作ミスだとトヨタは主張した。
に爺さんは、全く非を認めない。それなのに、どうして2年の減刑をしたのか。どうしたアメリカ人には、過失を認めたのに、日本人には、厳しい。これも、会社の日本人を卑下する差別的な会社のアイデンティティなのだろう。だからトヨタ車は買わない。
2年間は、薬師寺の写経千巻をさせれば良い。