アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

会いたかったのかなあ

ちょっとコワい話

今週のお題である。

子どもの時は、「あなたの知らない話」がテレビで放映され、たくさんの怖い話は、国民みんなが共有していた。

 

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そのため、タクシーの運転手や、医者には、なりたくはなかった。いっその事、僧侶になれば、そこそこ自分の身が守られるのではないかと、考えてもみた。

しかし、そうなると、向こうから寄って来るので、余計に怖い。織田無道ばりの迫力があればいいのだが、腕力にも神通力にも欠ける。

 

まだ、母方の祖母の月命日にお坊さんがお参りに来ていた時代だ。お坊さんに聞けばよかったものの、勇気がなかった。

田舎の親戚もよく集まっていた時代で、法事には、田舎の怖い話をよく聞かされた。誰かが亡くなった夜には人魂が出たとか、誰かが危篤の時には、虫の知らせがあったとか、怖い話のオンパレードであった。しかし、その類の怖さは、国民皆が共有していたのであって、一種の言い伝えであった。田舎の祖母のお墓まいりは本当に怖かった。

 

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やがて、学校で勉学に励み、生物や化学、日本史や世界史、地学や保健を学んでいくうちに、そういうものは目の錯覚であり、幻想なのだと思うようになってきた。

高校生の時に父方の祖父が亡くなり、その戒名が、うん百万だと聞かされて、あの世は人によって都合よく作られたものだと理解し、自分の中で断ち切った。その反動で、キリスト教の通信教育を受けてみたが、小学生の時に近くの教会で、日曜学校に参加し聞いていた話と遜色はなく、理解するにも、名前がややこしく、その上不勉強で、自分のものにはならなかった。

 

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大学では、ゼミの教授が非常勤講師として別の大学に講義に行くカバン持ちをしたが、そこで、お坊さんの学生にも接するようになり、少し考え方が変わった。わからないことだけど、全てのものは無情であるという、その諦観は、なんとなくわかる気がした。

 

しかし、いわゆるお化けは、あの世の存在とともに信じられなかった。また、誰もが、お経で浮かばれるとするなら、戦争や事故で、遺族の元に帰られなかった魂はどうなるのか。また、お墓まいりの帰りの事故が尽きないが、どう解釈をすればいいのか。亡くなった身内が何かを訴えるなど、愛情に満たされているはずなのに、ありえないと感じていた。

 

そんなこんなで、人の死とも、しばらく遠ざかっていたのであるが、結婚をし、子どもができ、今の家を建て、住み始めて間もなくのことである。

 

3階の主寝室は、板張りのバリアフリーの部屋ではあったが、そこに畳を敷いて、家族4人で並んで寝ていた。下の子どもは、寝つきが悪く、よく夜中に目が覚めて、ゴソゴソしていたが、4歳ごろ、お父さんの書斎におじいさんがいる。と言い出した。夜中に目を覚ますと、椅子に座ってじっとこちらを見ていると言うのだ。暗いのにわかるのと聞くと、はっきり見えると言う。また、しばらくして、今度は、二階の洗面所に、赤い靴下の女の子がいた。とも言うようになった。部屋の入り口にもたれかけて、足を投げ出しているらしい。上の子どもに聞くと、見たことはないが、話し声が聞こえる時があるという。隣の家とは十分に離れており、人が歩く道もない。そうこうしているうちに、下の子どもが、今度は、風呂場に髪の長い女の人がいると言い出した。自分には他の人が見えないものが見えるのだと、分かり始めたらしく、この道は怖いとか、あの店は入れないとか言うようになった。

 

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小学校に上がり、 しばらくすると、あのおじいちゃんは、お父さんの書斎から出て、この部屋を通って隣のお母さんのクローゼットに入っていったと言う。そこからまた、こちらを見ていると話した。久しぶりだったので、それまではどうだったのか聞いてみたら、ずっと怖かったという。たいてい、目を覚ましたらおじいちゃんがいて、こちらを見ていたのは変わりがないという。でも大丈夫という。

2年生になると、おじいちゃんは、一階に降りていった。学校から家に帰ると廊下の陰で、半分体を隠して見ていると言う。しかも、度々見るというのだ。いったい誰だろうと、聞いてみるが、会ったことはない。でも、昔のように怖くはないということだった。そんな話を、一階に住んでいる両親と子どもがしている時に、仏壇に置いていた父方の祖父の写真を見て、このおじいちゃんだと叫んだ。その写真は、うちにはないため、わざわざ2、3日前にもらってきたものだった。

それ以来、おじいちゃんは、出てこなくなったが、4年生なっても、ジャングルジムで、時々耳の側で自分の名前を呼ばれ続けたらしい。

今はなかなかそういうことはないが、得体の知れないものの雰囲気を感じる敏感さは失われてはいない。

 

 

台風5号がやってきた

今日は、台風5号がやってくる。中心気圧が975しかない。台風で言えば、ヨタヨタである。最後の力を振り絞って果てるのか、それとももうほんとに985ぐらいなのに今最後の力を振り絞っているのかは、本人でないとわからない。

東京制作の朝の番組は、どうせよそのことだろうと、先の山口や九州北部の豪雨の予報も積極的に伝えなかった。今朝もそうである。安心して見ることのできる、6ちゃんは優秀で研究熱心な元サーファー気象予報士がいるので、こういう時は心強い。その専門家の話と、視聴者から寄せられるダイレクトな情報、そして気象庁のコンピュータが書いた天気図を見て、東にある高気圧が行く手を塞ぎ、かなり体力を消耗するなあはさかきき、は、と予想した。

 

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関西の人は、関東の人ほど台風ごときでは騒がない。毎年のことであるので、自分なりの身のこなし方はわかる。去年はあそこの樋が溢れたから、修理しておこうとか、あそこにビニールを巻いておこうとか、それぞれが考えて家を守る。言われても、その通りしない反面、言われていないことは、しっかりこなすのである。地球温暖化か、異常気象のために、関東は、関西の50年前を経験することになっただけのことである。東京に接近するときの騒ぎようや体験自慢話は、本当に滑稽でもある。伝えなければならないことは、真面目にするものである。

さて、もう5号は、ヨタヨタであるが、こんな時でも働きに出なければならない。もう、どう考えても、風速40メートルは、吹かない。しかし、家の事が心配だという人もいるだろう。いっそのこと、お休みにしてしまうのは如何なものかと、思う。

 

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 でも、何度もいうが今回は、大したことはない。

そんな感じが、風の強さや、雨脚の弱さでわかる。

 

金比羅参り〜うどん付き〜

朝から、山陽路の旅だと当て込んで、いそいそと家を抜け出し、電車に乗った。
目的地は、当初備中高梁備中松山城を目指すはずであった。加計学園系列の大学が話題であるが、岡山には、様々な研究を進めているユニークな大学がある。
高梁にも、吉備国際大学があり、研究分野の恩師が国立大学を退官して勤務しているからと、一度訪問したことがある。小さな町だが、大学があり、若者がいることの意味は大きい。

和歌山大学などは、町から逃げ出した挙句、辺鄙な場所に建てたため、市内から若者が消え、活気が無くなったという。
はじめは、高梁のその山に囲まれた町並みと、天空の城ブームで、竹田城に続き観光客が押し寄せている備中松山城を、訪ねてみたいと家を出たのだ。
しかし、この暑さである。大阪は、36度になるらしい。2キロほどの山道は歩けないと思い、昨夜の地獄のみなと神戸花火大会撤収灼熱地獄も思い出され、山はやめよう、ヤマカガシもいるかもしれないということで、行き先を変えた。
山がダメなら今度は海だ、ということで、マリンライナーに乗ろう、瀬戸内を電車で渡るわたしは美しい。ひょっとすると、イルカに乗った少年、広島の「城みちる」がいるかもしれない。海のトリトン祭りだ‼︎ というイメージである。
岡山、尾道仲間由紀恵JR西日本



どちらにしても、姫路から岡山が、長い・車両が古い・乗り心地が悪い。JR西日本の、新幹線乗り換え作戦にほだされないよう、1時間立ち席で、ぐっと我慢した。加計学園やベネッセを厚遇してもらうなら、こんなところも忖度して貰えばいいのに。
岡山駅に定時に着き、10時53分発車のマリンライナーに乗り換えた。ここの時点で、どういうわけか3分遅れ。坂出での乗り換えがピンチ。中国地方でも、列車の遅延は当たり前らしい。マリンライナーというので、特急南風のように派手な車両をイメージしていたが、なんと、払い下げの、神戸京都線の快速車両であった。
岡山駅は、四国や日本海側へのターミナル駅である。たいへん乗降客が多い。岡山なのに、ホームへのエスカレーターがある。それなのに、トイレが一箇所しかない。男性の大と女性用のトイレは、休日のサービスエリアの混雑ぶりである。駅員はなんとも思わないのであろうか。
車内は、大学生の旅行なのか、とにかく学生が多い。ずっと喋るので、車内は騒々しい。車両の前後で、何やらやり取りをしている。小学生並みの幼稚さである。ほんものの小さな子どもも、勝手なことばかりして、これまた大声を出す。親は叱らない。しかも、膝の上に乗せず一人で一席をとり、遊び場にさせている。
女性車掌は優しく丁寧なのであるが、か細い声なので何も聞こえない。南海電車の車掌を見習ってほしい。
坂出で乗り換え、琴平を目指す。よく考えると、そこも山ではないか。暑いのに、あの階段を登るのか。



いよいよ瀬戸内を電車で渡る。四国の人にとっては、この瀬戸大橋は、1955年の宇高連絡船の紫雲丸事故以来の悲願であった。事故では船が沈没し、修学旅行中の児童が100名も亡くなった。うち81名が女子児童であった。当時から、瀬戸内海を航行する連絡船の安全性が問題であったのだ。だからこそ、この瀬戸大橋は、英雄なのである。それをいつも思い出すたびに、切なくなるのだ。



渡り終え、坂出で琴平行きに乗り換え、琴平を目指した。
讃岐平野は、独特の景観である。平野の中に、ボタ山のような形状の緑の山が点在する。その山は、それぞれが独立峰であり、連山とはならない。はじめて見た時は、でっかい円墳か何かと勘違いしたくらいである。ため池が多いはずだが、あまり見当たらない。東播磨の方が多く感じられる。時代が変わったのか。それとも、もう少し西に行けば多いのか、そんなことを考えているうちに、35分程で、終点琴平についた。



駅舎は綺麗。
トイレも最新式。田舎のトイレとしては、かなりの、優れものである。
しかし、暑い。灼熱地獄そのものである。歩くだけで汗がふきでる。階段は、1368段。本宮までは、785段。気が狂いそうである。はじめは緩やかな階段であるから調子は良かったものの、次第に汗と、暑さの闘いになり、帰りの時間が迫り、旭社の前でリターンすることにした。
階段は下りが怖い。やはり、見てくれも大事だろうが、手すりはいるだろう。
お年寄りの事故が心配である。



五人百姓で、名物のお土産の飴を買い、一目散に、参詣口にあったうどん屋を目指した。こんぴらうどんで、ちくわ天ぶっかけうどんを、食べた。讃岐うどん屋さんは、近所にもあるが、さすが本場である。冷たく少し酸っぱく絶妙のつゆで、麺も艶があり喉越しも良く最高であった。何より、盛り付けに心がこもっている。さすが「うどん県」だ。あまり美味しいので釜揚げうどんをお土産に買ってしまった。重い。



帰りはもうクタクタである。マリンライナーでは、若い自分勝手な家族が席を独占し、不愉快な思いをした。モラルは、日本人の若い層には、もう通用しないものなのだろう。
話せば分かるといった時代はもうジュラ紀の向こうに去ってしまった。

ジャーナリズムの心

お友達内閣が、次回の総選挙まで、一時解散になったが、まだまだ反省は足らない。

 

昨日、首相のお友だち日テレで、これまた関西であの改革派の一味で、朝から首相のように視聴者を見下げたニュース解説をするアナウンサーが、インタビューを、していた。こうして、広報活動をしているのだ。

 

アメリカのキャサリン・グラハムさんは、新聞について、「政府を批判しない新聞は存在する意味がない。」という言葉を残している。

政府が言うことを真に受けて、そのまま報道するのは、小学生でもできる広報活動である。聞いて、そしてこそっと教えてもらって、それを記事にするのは、全くジャーナリストとして、失格である。

首相が、「お友だち新聞を読んでください。そこに書いていますから。」と発言した時点で、その新聞は信用のおけないものになったのである。

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やることなすこと、ワガママである。適当に強気の発言や、困ったことを考慮しますと言うのは、馬鹿みたいな話で、誰でもできることだ。今を変えることこそ大切な課題なのに、祖父の願いである憲法改正をもくろみ、今回もその願望は捨てていない。

教育に政治を持ち込み、社会の荒廃は教員の質の悪さであると責任を押し付けた。大阪のチンピラに人権に関わる公務員いじめをさせ、世論を煽らせた。現世利益を道徳の中に導入し、教科として強制的に学ばせるようにした。チンピラに迎合して、カジノをつくった。気に入らないマスコミは、排除できるようにした。反対を叫ぶ行動は、庶民でも逮捕できるようにした。

この一連の改悪を、国民をばかにしながら、ほくそ笑んで数の力で決めてきたのだ。それを忘れてはいけない。

だいたい、政治家が世襲であるのもおかしい。職業になっているから、何もかもわからなくなるのだ。職業にならないために、給料を下げれば良い。

 

それなのに、田原総一朗は、なにがしかの提言をしたらしい。いやらしい話だ。

俺が言ってやった。冒険を、政治生命をかけてやるだろう。となんとか、アホみたいなことをぬかしている。何を言ったのか秘密だという。お友だちになり、その人の話を個人的に聞いてやるのは、森友、加計学園問題と本質的に変わらない。日本は田原のものなのか。すんなり、戦争への道を進むのは、おやめなさいと言ったのならわかるが、天下国家は、私の言うことを聞く、と、奢っているのに過ぎない。前々からおかしいと思っていたが、彼の行動には、失望した。

 言論の自由を守ることが、ジャーナリズムの原点である。         田原総一朗

 

花火後編 みなとこうべ

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いよいよ始まった。

まともに花火大会は、出かけたことはなかった。たくさんの人で大変だし、近くへ行けばいつでも見れると、舐めて考えていたのかもしれない。

東京湾大華火祭の時は、月島にいたのにもかかわらず、花火の音がする中、ひたすらもんじゃ焼きを食べていたし、去年の神宮外苑花火大会も、上智から見えていたので、ホテルに資料を置いてから駆けつけると、もう帰りの人でごった返していた。

今回は、自由席と言えども席がある。

側には、花火大好きの応援団もいて、なんだか、雰囲気に呑まれそうだ。

周りは、みんなベテランのようだ。

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プログラムがある。

ただ単にバンバン打ち上げるのだと思っていたら、なにがしかのテーマがあり、それを打ち上げ花火で表現するという、実にロマンチックな物語がある。

ちなみに、今回は

「つながるキセキ」150年のありがとう

というメインテーマに

①  オープニング

②  まちを彩る「神戸夜景」

③  山と海「つなぐ水」

④  新しい風「生まれる文化」

⑤  煌びやか「カーニバル」

⑥ 150年の「ありがとう」

の、6つのサブテーマがあり、それぞれの間に解説が放送される。

あの色はあれを表現しているのだとか、この形はおそらくこれを見立てているのだとか、勝手に想像するしかないのであるが、周りの観衆は、「オー」だとか「ワー」だとか、声に出して楽しんでいる。

そうなのか。そんなにすごいのか。と、驚き具合によって、これが人気の花火だとか、これはもう1つなんだと、評価の基準を覚えていく。

とにかく、音が大きく、打ち上げの台船が近くなので、花火が真上で見える。迫力満点。それだけでも、興奮する。

 

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ふしぎなことに、そのサブテーマの終わりは、必ずみんな拍手をするのである。

もちろん綺麗な時は、隣の花火大好きの応援団は拍手をしたり感嘆の声を上げているのであるが、ひとくくりの枠がわかるらしく、盛んに拍手をしている。

それなのにわたしは、左手に大好きなプレミアムモルツを、右手にこれまた、なとりの 高級スルメを持ち、クチャクチャ噛みながら、ほうほうと言っているだけなのである。

周りはベテランの花火好きだらけ。だから、なんでもかんでも褒めたりはしない。でも、いいものは、思い切り褒める。

なんだか、クラシックのコンサートに似ている。

しかし、花火は、褒めても、すぐに消えてしまう。決してリクエストには応えてくれない。顔が見えているものの正体がつかめない。そう考えると、すごく難解な娯楽である。

 

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今回は、150周年記念として、15000発尺玉150発を、打ち上げた。花火界として、それがどういう意味があるのか、どれほどすごいのかわからないが、いつもよりすごいらしい。

記念の花火をすぐ近くで見ることができて、うれしかった。 全てが終わった時、例のOLの1人が、最後泣きそうになったって言っていたのが印象的であった。

 

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帰りは、ものすごく混んでいた。あれだけの人が、一気に駅に押し寄せるのだ。アナウンスで、消防音楽隊が演奏をしているので聞いてからゆっくり帰るよう言ってるのだが、なんのことかわからない。

たくさんの人が出ているのに、車を規制しない警察は、何なのだろう。大阪府警にさえ馬鹿にされる兵庫県警。おしゃれな街なのに、DJポリスもいない。

1番ダメなのは、車の渋滞に巻き込まれ、救急搬送中の救急車が2台も動けなかったことである。警官も見て見ぬ振りである。どいつもこいつも、言われたことしかできない馬鹿公務員がと、ものすごく腹が立った。そんな仕事ぶりでも、彼らには、危険手当が出ているのだ。

 

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納涼どころか汗びっしょりになって帰路を急いだ。

みなとこうべ海上花火大会始まるよ

台風5号の動きがあまりよくわからない状況で1週間も前から心配していた花火大会であるが、多少、南西からの風が強いものの、開催の運びとなった。

 

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まるで、花火大会主催者のような書き出しではあるが、これでも3100円という大枚をはたいて、サポーターとして、第2突堤の椅子席に鎮座している。

2突倉庫や、途中の通路にレジャーシートを敷いて、待ち受ける無料で花火を見る会の諸君とは、少し立場的に違うのである。思わず、「こんな人たちとは違うのです、」と言いそうになるが、そんな首相のような事を口にするなど、知識と教養とが邪魔をして決してできない。しかし、途中の案内人は、「あなた持っていますか?そうそうそれなのよ。どうぞこちらへ。」という感じで、ニコニコで誘うのである。

一昨年は、六甲アイランドのホテルの宴会場で、淀川の花火大会と両方同時に見た。花火は綺麗に見えるが、音が聞こえないので、拍子抜けであった。

 

今年は、神戸港開港150周年。何かと記念という言葉の好きなわたしは、7月から始まる記念行事にいろいろな形で参加している。今日も、朝から、花火大会だからと、記念に盲目の柴犬、りょうを1年ぶりに2階に上げた。

 

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意味はない。

でも、記念なのだ。この150周年を命あるものとして一緒に迎えることができたことに感謝するのだ。

 

さてサポーター席に鎮座したものの、まだ前に、海にせり出したわけのわからん 席がある。がらがら。市民は買えない。市民税を払っていても買えないらしい。

協賛企業の席らしい。さすが港町。船と同様、階層階級制が生きている。最近のリゾートクルーズ船では、もう廃止していることなのに、ここは、150周年ということで我慢をさせるのだ。

 

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ところデ。ヒアリは大丈夫なのか。安全宣言もないのに、のこのここんな埠頭に来ても良かったのか。

 

いよいよ始まるよ。

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 ポートタワーにも花火のイルミネーション。花火開始とともに消されました。

後編も読んでね。 

北海道民頑張って

中国の26歳の女性が失踪してもう2週間になる。あちこちで目撃されているが、よく考えると、もうずいぶん前のことなのである。
マスコミは、目撃情報を頻繁に発信しているが、7月の下旬のわずか2日間の動向は詳しく出ていたが、その後、いきなり月末の目撃情報である。しかもいい加減。どんどん日が経つのに、そこまでしかわかっていないのか、と心配してしまう。北海道大好きのわたしにとっては、ダブルのショックである。早く見つけ出して欲しい。

 

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ところで、犯罪性があるかどうかもわからないが、人の記憶と店の防犯カメラに頼るしかない現状はどうなのだろう。
これほど観光とはいえ、外国人が大量流入することを認めてしまったのである。生活習慣も倫理観も全然違う。中には、何があっても謝らないとか、南米の国の一部では犯罪という認識度が低い国もある。法を犯してもバレなければ大丈夫という考えだ。また、小学生程度の学力しかない判断力不足の人や、日本語で何も話せない人もいる。
日本人は、外国人に弱い。中国人や韓国人には、見下した態度をとる人がいるが、金髪や青い目には完敗である。
日本語ができなくても留学生がいたり、かえって日本語を喋ると、ありがたみが減るようなガッカリ感がわきおこる。
とにかく、日本の文化に触れにきていると言っても、ただの金儲けとか、犯罪目的、女性目的の、しょうもない外国人は、うようよいると考えた方が良い。中には、帰化して生活保護作戦で悠々と日本の清潔で穏やかな生活を味わうという裏技が、中国人の中で話題になり、かなりの数がそれを利用している。私たちからすれば、税金を盗まれているのである。日本は、法治国家であるが、そういうことには、実に疎く、まさに放置国家なのである。


中国のインチキ富裕層が、北海道のホテルを買い占めていく。もともと共産主義の国なのに、そんなに金を持っているのはおかしいとも考えない、卑怯な人間である。そんな相手にホテルを売る、水源地の周りの山を売る、会社を売る。そんな日本人も馬鹿である。

このように、目先の利益のために勝手に売買させているが、実は中国の国家戦略であることを忘れてはいけない。くれぐれも忠告しておくが、中国の食品には唾がかけられていると疑わなければならない。いくら、現地で安全性を確認したと明記しているニンニクであっても、清潔な養殖池で育てたというウナギであっても、そうやすやす買ってはならない。監督の日本人が帰ると何をしているかわからないのだ。

話は、だいぶんそれてしまったが、人の集まるところには、防犯カメラや、記録カメラを、設置する時が来たのではないか。プライバシーのことや、能力以上に力を得た警察が運用することが、すこぶる問題であるが。こうなっては仕方がないのだ。

 

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北海道の諸君、北海道の名誉のために早く中国人旅行者を探し出して欲しい。