アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

ジャーナリズムの心

お友達内閣が、次回の総選挙まで、一時解散になったが、まだまだ反省は足らない。

 

昨日、首相のお友だち日テレで、これまた関西であの改革派の一味で、朝から首相のように視聴者を見下げたニュース解説をするアナウンサーが、インタビューを、していた。こうして、広報活動をしているのだ。

 

アメリカのキャサリン・グラハムさんは、新聞について、「政府を批判しない新聞は存在する意味がない。」という言葉を残している。

政府が言うことを真に受けて、そのまま報道するのは、小学生でもできる広報活動である。聞いて、そしてこそっと教えてもらって、それを記事にするのは、全くジャーナリストとして、失格である。

首相が、「お友だち新聞を読んでください。そこに書いていますから。」と発言した時点で、その新聞は信用のおけないものになったのである。

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やることなすこと、ワガママである。適当に強気の発言や、困ったことを考慮しますと言うのは、馬鹿みたいな話で、誰でもできることだ。今を変えることこそ大切な課題なのに、祖父の願いである憲法改正をもくろみ、今回もその願望は捨てていない。

教育に政治を持ち込み、社会の荒廃は教員の質の悪さであると責任を押し付けた。大阪のチンピラに人権に関わる公務員いじめをさせ、世論を煽らせた。現世利益を道徳の中に導入し、教科として強制的に学ばせるようにした。チンピラに迎合して、カジノをつくった。気に入らないマスコミは、排除できるようにした。反対を叫ぶ行動は、庶民でも逮捕できるようにした。

この一連の改悪を、国民をばかにしながら、ほくそ笑んで数の力で決めてきたのだ。それを忘れてはいけない。

だいたい、政治家が世襲であるのもおかしい。職業になっているから、何もかもわからなくなるのだ。職業にならないために、給料を下げれば良い。

 

それなのに、田原総一朗は、なにがしかの提言をしたらしい。いやらしい話だ。

俺が言ってやった。冒険を、政治生命をかけてやるだろう。となんとか、アホみたいなことをぬかしている。何を言ったのか秘密だという。お友だちになり、その人の話を個人的に聞いてやるのは、森友、加計学園問題と本質的に変わらない。日本は田原のものなのか。すんなり、戦争への道を進むのは、おやめなさいと言ったのならわかるが、天下国家は、私の言うことを聞く、と、奢っているのに過ぎない。前々からおかしいと思っていたが、彼の行動には、失望した。

 言論の自由を守ることが、ジャーナリズムの原点である。         田原総一朗