アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

今時のしょぼい大学事情

子どもが、大学生で神戸の女子大へ通っている。

 地方国立大に行く予定であったが、近くがいいと、私立の女子大を選んだ。学費が高く、いつまで親の脛をかじるのかと思い、あまりいい感触をもたなかった。

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自分自身も、大学の客員として他大学に行くため、今の大学事情を聞いてみると、研究という研究はしていない。まるで、授業内容は高校の延長である。

 

聞くほど腹がたつが、研究という形のものはない。今まで考えていたことはそうなっていたのかとか、まだ論文段階のことだけどという内容のものがない。今時の、今時流布されていることを、君たちは知らないだろうと教えてもらっているに過ぎない。

 

大学って、そんなことがわかっている人が、自分の興味を持って学ぶものなのに、完全に、就職を意識した専門学校と化してしまっている。少子化で、とにかく就職につながるものである事を強調しつつ、大学の存続につなげたいのである。

 

そんなことに、高いお金を支払い学位をとったとしても、社会の発展や国民の幸福につながるのだろうか。

 

さらに、教員養成学部では、神戸市で校長をしていた人が、教授として教鞭をとっているという。天下り先であるらしいが、そういうことで、大学と神戸市教育委員会との忖度を保ってきているのだ。お互い、潤いあっているのであろう。

 

そもそもおかしな話だ。校長といえば、おそらく教頭も経験するだろうから、教員として、40半ばで学級担任は終えているという。飲み友達にも確認した。

そういうほぼ15年も昔の学校での指導法を伝授してどうするのだろう。教育課程は、約10年で変わる。その変化に追いつけないではないか。前から言ってはいるが、校長は優秀な教員だからといってなれるものではない。麻雀や宴席、盆暮の付け届けなど、実力とは違った力で決まるものであるらしい。

実際近くの小学校の校長は、地域の人からバカにされていた。ある日、電車の中では、宴会帰りの校長同士が、学校の人事を話していた。あまりわからないが、バレーが出来る教員を呼ばないと強くならないとか、若者を入れて特訓するとか。この、会話を聞きながら、呆れてしまった。教員のスポーツで、人事をしているのかと。まあ、暇な人たちだ。

 

そんな、元学校長たちに、子どもの大学では、義を講じてもらっているのである。講義はわかりにくく偉そうであるらしい。

公務員改革、天下り禁止と言いながら、こんな形で、脈々と大学と教育委員会との、相互採用が行われていることこそ、市会議員なり、教員なりが明らかにすべきである。

 

聞くところによるとこんな大学が、神戸市内に、何校かあるらしい。現役の教諭ならまだしも、採用試験がらみで、校長を教授にしている大学を、明らかにしていきたい。こんな感じで、教員採用試験にも不正が行われているのだろう。うちの大学生をよろしくと。それならば、学生の父母は、学校に賄賂を納めているようなものである。

このままでは、永久に研究者は、出てこない。高校生活が、四年続くだけのことである。かわいそうである。少なくとも、わたしの半分も勉強していない。

それでも、1人でも、優秀な学生に、教師になってもらいたい。

 

大学では、うまくセコく生きる手段など教えていらない。設置基準を見直して、きちんと論文が書ける教員を置くべきだ。